正しいオッパイと青春の映画
イギリスのファッションフォトの世界で活躍しているショーン・エリスによる長編第1作目。元々この映画は彼が撮った短編の再映画化。
2年半付き合ったスージー(ミシェル・ライアン)に振られた主人公ベン(ショーン・ビガースタッフ)は、そのショックで不眠症に。眠れない8時間あまりを持て余した彼は、それを埋めるべく深夜のスーパーでバイトを始める。でもそこに集う店員は変な奴ばかり。仕事と言えば退屈なレジ打ちか掃除。楽しくもない仕事ばかりのどうしようもない時間をやり過ごすにはどうしたらいいか悩むベン(ちゃんと働け!)。そこで彼は”時間を止める”という技を編み出す。その特別な技を使って、彼は深夜のスーパーに中であることを始めるのだが... 。
写真家の撮った映画、美大生、恋愛(失恋)、不眠症。映画を語るキーワードだけを取り出すと、よくあるスカしたサブカル青年の青春映画かとお嘆きのあなた、しかしこの映画はさにあらず。エロや悪ふざけ、童貞中学生の妄想とほとんど同じもので次第に画面が埋め尽くされていきます。
主人公のまわりで活躍する愛すべき登場人物たちは、
- 自信満々でマッチョ、嫌味でサッカー好きの店長ジェンキンス(スチュワート・グッドソン)
- 変な顔で悪ふざけやいたずらが大好きのボンクラ・バリー(マイケル・ディクソン)
- バリーの相棒、肉体系(というかジャッカス系)のボンクラ・マット(マイケル・ラムボーン)
- カンフー大好き(衣装はいつもカンフー服、時々道着)のボンクラ・ブライアン(マーク・ピッカリング)
- 覇気がなく憂鬱そうなシャロン(エミリア・フォックス)
- ベンの幼なじみで親友、エロ命(でもモテない)のボンクラ・ショーン(ショーン・エバンス)
以下、映画の前半を中心に繰り広げられるボンクラ展開。
- 親友のショーン(ショーン・エバンス)は、落ち込んでいる主人公を励ますいい奴として登場。しかしやることなすこと全てSEXと直結。いかに女とヤレるかにしかエネルギーを傾けない爽やかな青年(でもそのせいでモテない)。ショーンに絡む部分は下ネタのみなので楽しい。特に彼が女にフラレる場面の天丼ぶりが最後まで抜群。
- 幼いベンとショーンがいかに性に目覚めていったかについてのエピソードが挟まる。スウェーデン人の留学生の話(オンナのオッパイとアソコが丸見え→女の人って最高!!)や近所の”ナタリー”の話(50ペンスでアソコを見せてくれる→オンナのコって最高!!)、ショーンの家で見たエロ本の話など中学生が修学旅行の夜に布団の中でするようなお話がいっぱい。その上彼らの思い出はキチンと映像として再現される。オッパイやアソコが一杯!!って感じ。(スウェーデン人の女性はエロという迷信はイギリスでも有効。←いつの時代だ。)
- 大体ベン自体が止まった時間の中で何をするかと言えば、スーパーの女性客の上を脱がしてオッパイがポロリ、スカートまくってパンツ丸見えという「透明人間になったら女湯をのぞく(そんな映画他にもあったな)」と同様の男のコの妄想で言えば古典的な行動をとる始末。それもこれも幼い頃の体験(スウェーデン女)のせいなんでけど。しかし、この場面はまさにオッパイが一杯。(でも女体の神秘を観察し終わればキチンと服は戻します。)
- 上司ジェンキンスの誕生日ためにストリッパーを探しにいくベンとショーン。ストリップバーへ(イギリスではバーなんだ)。登場するとことんやる気の無いストリッパーがイカす。紹介された派遣のストリッパーの正体は実は... 。(後で伏線回収、ここだけ後半。)
そんなこんながありながら、やがてベンとシャロンは互いに引かれ合うように。しかし競争は激しく、バリーや店長もシャロン狙い。やきもきしながらも彼はシャロンとの距離を縮めていきます。そして新しい恋の始まりはベンの内面に大きな変化を与えていきます。
主人公ベンのナレーションとスージーの怒った姿のスローモーションで幕を開けるこの映画は、さすがファッションフォトグラファーらしい技巧的でカッコいい映像と、どんな表情でもそれを魅力的な姿として捉えきる姿勢に感心。(顔立ちやメイクのせいで若干女性の趣味が似通っているのはご愛嬌。でもシャロン役のエミリア・フォックスは、生活感溢れた美人でグッとくる。)
映画を撮る人の中には、女優を巧く撮る人とそうでない人がいますが、エリスは前者。別れ話の際の怒ったスージーや順調だった頃の彼女の様子をたっぷりと見せ、彼女に未練を残している主人公の心理に一定の説得力を持たせることに成功している(映像的に)。
その他の場面では、不安定なベンの心理状態をさまざまなスピードの映像や現実にあり得ない空間的なつながりで表現。ナレーションで進行していくこの映画は、あくまでもベンの内的な世界が基盤であり、映画のキモである”時間を止める”というトリックは、現実に特殊な能力に目覚めたと言うわけではなく、あくまでも主人公の主観世界の中でのみ有効な事柄だと僕は理解しました。
この辺は、ミシェル・ゴンドリーの撮る一連の作品、特に「恋愛睡眠のすすめ」との共通性が感じられました。ゴンドリーの描く青年はいつもコミュニケーションに消極的で、それゆえどうしようもないイタさを抱かえています。しかし、それは全ての男子の中にある男の子的な心地よさみたいなもので、恋愛という行為を経ていかに他者を内在化できるかということが、「青春映画」では大きな問題となります。
「フローズン・タイム」ではお決まりの仲違いの後、最後にたいへんロマンティックな展開が用意されていて、ベンとシャロンは幸せを手にし、新たな一歩を踏み出します。映画のラスト、停止した時間の中でベンとシャロンの2人が動き始めるのは、互いを掛け替えの無い存在として意識したことの現れなのでしょう。
それは青春映画としてゴンドリーのそれとは大きく異なるように感じました。普通の甘いハッピーエンドと言ってしまってもかまわないのですが、あくまでも恋に恋する青年の夢である「恋愛睡眠」に対して、エリスの描く世界には他者の存在という要素が強く、主人公一人だけで全てが解決することは無いという当たり前のことが埋め込まれている。
ゴンドリーは「エターナル・サンシャイン」で、苦い恋の終わりから映画を始め、すったもんだの末、再び元の鞘に収まる一組の男女を描き、事態が解決されたかのようにお話を結びます(この辺は脚本のチャーリー・カウフマンの影響か)。しかし、観客はこの先2人がどうなるかわからないよという不安を感じる。それは、映画の中で変わったのがあくまでも恋している男の内面にすぎないからで、分かれた女がいま彼をどう思っているかについての言及がないからです。(他人の認識を正確に把握することは人間には不可能なので、その不安は永遠に解消されない。)「フローズン・タイム」はあらゆる意味でステロタイプとも言えるのですが、娯楽であることに自覚的であることでそれを超えていきます。
まあゴンドリーの映画はある意味特殊なのでこれ以上言及はしませんが、今日のエントリーのタイトル通り、いろいろな意味で正しい映画なので、ぜひ恋人のいる幸せな男女は互いのパートナーを誘って観に行くべき正しいデートムービーの一本ではないかと思います。(名古屋だと今週中はまだ観れるのでぜひ!)
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