「ストーリー」のその先

 39本目、「シューテム・アップ」。

 噂に違わぬスカスカぶりでびっくりな訳ですが、この映画に関しては大枠だけ作って、中身は好きなものを精一杯詰め込んだという作りが成功していると思いました。
 だって、クライブ・オーエンが主役にキャスティングされているのは、監督が「シン・シティ」を見たからだと思うし、モニカ・ベルッチがいるのも、この種のボンクラ映画では当たり前のことなので驚きません!。でも、母乳プレイ専門の娼婦というのは突き抜けていて非常に良いですね。
 唯一畑違いな感じのポール・ジアマッティについては、B級のノリに慣れていない感じが出ていて浮き気味でしたが、それでもキャラを巧く処理して、容姿的には良くあってたと思います。むしろ変に偉そうな性格俳優的なポジションでいられるよりマシかなと思えました。
 キャラ面で映画を支えているのは、やはりクライブ・オーエン。「クローサー」のセックスマニアの医者役を観た時からただ者ではないと思っていましたが、真剣な顔でバカを連発。(ニンジン最強!!)それでも、シュっとしている姿がお見事。

 語るほどのストーリーがないんで省略しますが、妊婦(子供)を助ける→悪人に追われる→娼婦を巻き込む→反撃して→ハッピーエンドという、およそ娯楽映画に最低限必要と思われる流れだけが存在し、その間をとにかく「カッコいい」銃撃戦と悪趣味な人体破壊描写が埋めていくという潔さ。
 背景やドラマらしきものもあるにはありますが、そんなことを重視していないことは明らかで、主人公に弾が全くあたらないから始まり、どんなに乱暴に子供を扱っても平気(だってバレバレの模型、カットによって大きさすら違う。)とか、主人公一行が都合よく窮地を脱することができたりと、ご都合主義とすら呼んではいけないような展開の数々。その際たるものが、ジアマッティ演じる 率いる悪者軍団が、本当に都合よく主人公たちを見つける。適当な推理がいつもドンピシャで、その後必ず銃撃戦かカーチェイスになる。(それでもいつも取り逃がすことまでお約束。)
 普通こういうご都合主義は、主人公サイドに対して多く作用するものですが、何せ「逃げる」ことが主眼になく、「銃撃」がメインなので、それも致し方ないこと。でも、そのことが何の目的で行われているかといえば、僕は映画的な快感をどこまでも喚起するためだと思いました。劇中何度かある銃撃シーンは、「リアルな銃撃戦」と言う表現に慣れすぎていると、少々面食らうとは思いますが、それ以上に突き抜けた面白さを表現することに成功していると思います。
 この辺の感覚は、VシネやB級映画で全盛だった頃の三池崇史を彷彿とさせ、「そんなんありえねぇ〜よ」と心の中で叫んでも、なぜか説得され満足してしまうという、映画のケレン味とでもいうべきものを備えていると思いました。
 
 前に「アドレナリン」というジェイソン・ステータムの出た映画がありました。これも結構ぶっ飛んだ内容だったんだけど、これには一応しっかりとしたストーリーが存在していて、寝ている間に毒を盛られた主人公がその犯人を捜しながら、解毒のためにむちゃくちゃな行動を繰り広げるというもので、最後には黒幕の正体と目的が明かされ、主人公の決断により、事態は収束します。
 この映画もナカナカとんでもない展開の連続だったんですが、それでも起承転結に近いものはあり、ストーリーを楽しむことぐらいはできましたが、この作はそれすらも潔く放棄してしまっている。それでも映画として面白い。そこがポイントなのだと思いました。
 世の中には「バカ映画」と呼ばれる作品があります。これはいろんな意味で使える奥の深い言葉なんですが(本当かよ!)、あえて自分なりに定義してみると、世に溢れている「バカ映画」は「キレイなオチやきちんとした起承転結など作り出すことができないくせに、無理矢理お話で語ろうとする映画」といったものが大半ではないでしょうか。無理をしているから、お話が進むうちに破綻して、バカになっていくのです。(そういう意味ではタランティーノの映画は、どんな素材を使おうと決してバカ映画にはならない。)
 以上のような観点からすると、この「シューテム・アップ」という作品は決して「バカ映画」では無いなあと断言できるのではないでしょうか。(今回はちとマジメでしたね。)