「その日のまえに」

 最近復調著しい大林宣彦の最新作。重松清の連作短編を市川森一が脚色したことも話題になっておりましたが(撮影用の脚本は大林自身が書いているみたい。)、またこれがスゴい映画となっておりました。TBSラジオの「ライムスター宇田丸のウィークエンドシャッフル」内でやっている「シネマハスラー」のコーナーで紹介されていたのをPodcastで聞いて、「転校生」のセルフリメイクでもスゴいことをやっていた大林監督がさらにスゴい映画を作っていることなので、年末の映画館へ出かけてきました。
 中部圏ではキチンと宣伝されていた訳ではないのでお客の入りは少なめ。(大きな箱だったけど3割ぐらいしか席が埋まっていない。)年齢層は高めで、中高年の夫婦とおぼしき二人連れが多い。難病もの、重松原作という要素に期待して足を運んだと思われるお客さんが多い中、いつもどおりの「A Movie」で始まった作品は、普通の「泣ける映画」を期待していたであろう多くのお客さんを置いてきぼりする展開。
 とにかく圧巻なのが前半。主演の南原清隆演じる健大と永作博美のとし子が自宅マンションの部屋の一角で交わす会話から始まり、状況説明は登場人物たちの説明的な会話に任せながら、一時帰宅を利用した小旅行(かつて暮らした街を訪れる)のスチュエーションは細かなカット割り、テンポの良い編集、ストーリーのメインラインとの関係を明示しない小さなエピソードの挿入と、とてもベテラン監督とは思えない忙しない展開で、前後の繋がりが意図的に不鮮明になっていたり、細かな出来事が尻切れとんぼになっているなど、しっとりと状況を見せるというより、お話がキビキビと進んでいくことで得られるドライブ感を重視している。にも関わらず、ストーリー自体はスルッと頭の中に入ってくる。
 その上、映画表現の文法を意図的に無視した撮影や移動中の背景を中心としたバレバレの合成(黒沢清も大好きスクリ−ンプロセスの拡張版)、不自然な照明と場面ごとにかわるエキストラの配置などアナログ的技法を駆使しながら、徹底的に主人公二人の主観的な世界を映像として積み上げていく。
 特に面白いのが、ライティング(照明)とカット割りで、背景は昼間の光線なのに人物には夕方(ないしは心情を表現する色)の光が当たっている。また、イマジナリーラインを無視してキャラ同士を同じ方向から撮ったり、ロケをしているのに背景にエキストラに人物がいる場面とそう出ない場面があるなど、虚と実、過去と現在、内面と現実を行き来するかのような超現実的な場面が連続していきます。細かくカットを割り、軽快なテンポを演出しながら、同じカットないしは同じ意味のカットを連続させたり、頻繁に出し入れすることで、登場人物の心情に観客を巻き込んでいく手法は、まさにベテラン演出家の計算高さと経験からくる熟練の技といった面持ち。
 加えて印象的なのは「合成」という手法で、主人公たちが移動する際の車窓に始まり、波風町での彷徨の際の背景など、とにかく前半は凝った撮影が多い。特に感心したのが、二人が立ち寄る家具屋での店内。売れないイラストレイターとして過ごし貧乏時代、この家具屋で値切って家具を買った思い出を語り合いながら、狭い店内を回る二人にピントが合っているカメラ。そのために人物の周りはボヤケている。それなのに人物の背景であたる店外の様子にピントがしっかり合っていて、行き交う人々がしっかりと観える。これは普通に撮っても絶対にそんな風には撮れない画で、前方の人物を撮った上で、背景(店外)は別撮りして、編集段階で合成している。(ブライアン・デ・パルマが昔「カジュアリティーズ」でやっていた。)こんな手間のかかることを予算的にも日程的にも楽ではないはずなのにやっている。
 その他にも、屋外を二人で歩く場面で明らかに人物と背景が別撮りされる(照明が全く違った方法で行われる)場面が多数あって、これが現実世界とそうでない世界を二人が行き交っていることを表現していて、死を目前とした二人の特別な道行きを見事に表現していたと思います。
 この辺りの「画」へのこだわりは監督が若い頃から変わらず行われているこだわりで、アナログな手法を用いながら目指した画を撮ること、物語を語る上で必要な画を撮ることを実践してきた大林監督の姿勢が、今も全く変わっていない(むしろ研ぎすまされた技術として表出されている)ことが、ものすごく偉大なことだと感じました。
 帰ってきたからいろいろ感想を読んだんですが、やれ「リアルじゃない」とか「特撮(合成)が不自然だ」と言い放っている人たちは、わからないでもないですが、あくまでもそれがある種の演出的意図に基づいている行為だとわかるべきで、決して物理的な制約からくるクオリティーの低さではなく、あくまでも必要な表現の一部だと考えるべきでしょう。
 2009年公開のデヴィッド・フィンチャーの新作「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」では、何百億円も掛けて全編CGによる加工を施しているそうですが、予算や手法の違いはあれ、「撮りたい画を撮る」という意味においては、大林映画もそれと全く変わらないことをやっていると思いました。(対してフィンチャーは、彼の得意な「画作り」をどこまで演出的な必然性へ高めているか期待したいところですが。今度は奇数番目の作品ですから、悪い方の法則が発動していないといいですが。 )
 そういった混沌に満ちた前半が終わり、とし子の再入院と病状の悪化に伴って、結末を象徴する者として登場するモチーフが「宮沢賢治」。「くらむぼん」を名乗る謎のチャリストが「春の修羅」を歌い上げる中、それまで物語の外側にいた日野原の二人の息子たちを交えながら健大が「その日」を向えるまでを描いていきます。
 後半はこれまで以上に多くの人物が登場し、それぞれが抱えた事情をふまえながら、普通の人々がいかにして「死」を受け入れていくかが描かれており、不幸な結末を得るもの、危機を脱するもの、それらを見つめる人々と視点を変えながら、ある女性の死を中心に物語が進み、若干意味不明であった前半部分でのフリ(伏線)が、後半でバシバシ回収されていくという面白さを体験することができます。
 出演している俳優人も最高で、ここ数年がキャリア的にも良質の仕事を連発している永作博美。今作でも特別なアプローチはしていませんが、最高の演技を観ることができます。対する相手役の南原清隆は、本格的な主演は初めてということもあり、台詞や芝居自体は少しつたない部分もありますが、良い意味で普通を上手く体現していたと思います。それにこういった役(主役)にはどうしても美男や如何にも主演俳優といった人を配してしまいがちだと思うのですが、今回のナンチャン起用は、ある種のリアリティを担保する上で、全然アリだと思いました。
 あと、いつもならあまり良い印象のない筧利夫今井雅之がスゴく良かったのが意外でした。(この辺は監督の演出力の高さの表れかと思います。)子役と美少女(原田夏希)の人選の確かさは今回も健在。でも、ヒロインのヌードがないのが無いのが意外。それと大林監督は「ヒロシ」が好きなのを確認。
 相変わらずいつの時代かわからない子供の描写やしつこ過ぎる「駅長くん」など、観る人によっては生理的受け付けない部分が無いわけではないので、結局ダメって人も多いと思うのですが、大林が日本映画を引っ張っていた80年代の頃より、僕自身は最近の作品の方が好きで、これからもこのまま映画を撮り続けてほしいとホンキで思える見事な1本でした。
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