最後に出てきたレッドグレーブが全部持っていった感がありますが。

 41本目、「つぐない」。

 映画として重要な意味を持っているのが、「リワインド(巻き戻し)」。
 前作の「プライドと偏見」を観たとき、監督のジョー・ライトは変な人だなあと思ったことを覚えてる。
 この古典的恋愛話を基にした映画は、非常にオーソドックスに作り上げられた文芸大作という面持ちながら、少しモダンで変わった表現が随所で用いられていました。
 それが端的に現れている部分が、ストーリーの後半、どう行動したらいいかわからなくなったキーラ・ナイトレイ演じるエリザベスが庭のブランコに乗るシーン。「ゆれる気持ち」を表すのに「ブランコに乗る」なんてベタな表現を用いたこのシーンは、それだけでは終わらない。
 画面の中央にブランコに乗った被写体を置いて、その周りをグルグルとカメラが回るのだ。
 別にそんなことしちゃだめだとは言わないが、そんなことまでしなくてもいいのにという表現だ。明らかに基本に忠実なカット割やカメラワークを主体としてきたそこまでの表現から見ても、この部分は良くも悪くも浮いている。
 でも、それもありと思わせるだけの作り込みが全体にあるので、そのこと自体に引っかかても、それがおかしいとは思わない。
 ジョー・ライトはすごく計算のできる人で、古典(オーソドックス)に前衛(アバンギャルド)を混ぜ込んでテーマや表現にある種の厚みを与えたり、映画の可能性を押し広げようとしているのではないかと感じました。
 72年生まれのジョー・ライトは映画の世界でも若い人であることは間違いなく、その若い人が2作品連続で原作付き(文芸作品)を選んでいるのは面白いことだと思います。

 この「つぐない」は、最初から最後まで細かな仕掛けが施された作品なのでストーリー自体には触れないほうがいいでしょう。(あらすじならいろんな所で読めますしね。)
 この感想文の最初に書いた「リワインド(巻き戻し)」については、映画のわりと最初のほうから使われていて、多くの人が不思議に思うはず。
 少女時代のブライオニー(シアーシャ・ローハン)の視点で始まる物語は、彼女の周りで起こった事柄を巧みに切り分けながら進み、時に彼女が目にしたことが「本当は」どうであったかを示すために、その演出法が利用される。でも、その手法が単に説明的な意味でそうであるということではないことが、最後の最後に年老いたブライオニー(ヴァネッサ・レッドグレーブ)の口から語られれます。
 ストーリーの進行、情報の出し入れ、状況の見せ方など、非常に計算されていて、犯人探しの映画ではないのに、サスペンスフルな雰囲気なのはお見事。
 これは映画内での視点が比較的ぶれることなく進むことに大きく関係していて、「最後にどこに到達するのか」という明確なビジョンを監督・脚本家が共有できていたから、このような形を成すことができたのでしょう。
 また多くの感想系ブログでも語られているとおり、フランスへ出征したロビー(ジェームス・マカヴォイ)がダンゲルグの浜辺で敗走するイギリス軍の中を彷徨うシーンは1シーン1カットとしても秀逸。それを文芸大作の中で必要な演出として位置づけることにも成功していて、その上「戦争」という大きなテーマを表現することにも寄与しています。
 また、非常に印象的だったのは、映画前半のスコア。(音楽はダリオ・マリアネッリが担当。)
 ブライオニーにが行動を起こすときに必ず流れるのが、タイプライターの打撃音(タイプする時の音)をサンプリングした楽曲。バックのオーソドックスなオーケストラ系の音との対比や画面上のキャラクターとのシンクロが気持ちいい。その上、タイプ音が鳴っていることがオチに直接結びついている部分も良く考えられている。
 とにかくこの作品を見ると、監督のジョー・ライトが映画に対して抱いていることの多くが、具体化されたと思える。その点では前作の「プライドと偏見」は実験作で、まだまだ手探り状態であったことがわかります。元々映画的に普通の部分がかなり高い完成度を持っている演出家なので、今作のような実験や計算を突き詰めていけが、次回作ぐらいで大きな賞を取るのは間違いないなという感じを持ちました。そういった意味でまた次が楽しみな監督が一人増えてうれしいです。

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