あんまり得意なことではないですが...

 「接吻」という映画を観て家に帰ってきたら、秋葉原の事件が報道されていた。
 奇しくも「接吻」は無差別殺人を扱った作品。映画の中で起こった状況と、今回の件は単純に比較できないけど、秋葉原の一件も「向こう側の住人」となってしまった人間からの社会への復讐なのではないか、そんな嫌な気分になった。(映画についてはいずれゆっくり触れます。)

 犯人の動機や目的がはっきりしていない今の段階で何か断定的なことを言うのはスゴく危険だと思うんだけど、「だれでも良くて」、「人がたくさんいる」、そして「土地勘がある(地方出身者でたまに東京に行く)」という点から言えばよく考えた行動をとっていると思う。そしてあまりにも甚大な被害が引き起こされてしまった。
 それと地方在住で、オタクのような生活をしている一人として、最近テレビを通して見る秋葉原の姿に感じていた若干の違和感が、ある意味証明されたような気がした。
 実際に秋葉原へは何回かしか行ったことのない自分が、こんなことをいうのはおこがましいことなのは百も承知なのだが、あの街に広がる独特の空間でさえも、もはや普通のオタクにとって、「居場所」として機能を失ってしまったのかもしれない。
 かつて(今でもか)原宿や渋谷といった普通の若者にとって意味のある街が、オタクにとって嫌悪の対象であったように、ブラウン管の向うに存在する秋葉原はそんなものと同じ意味しか持たないものに変わってしまったのかも知れないと、まるでわかった人のようなに考えてしまった。
 日曜日の歩行者天国。楽しげに集う人々の姿は、犯人にとってどのように見えたのだろう。
 もうこのようなことが繰り返されることのないよう、何か出来ることは無いか考える時期なのかもしれない。
 そんなことが頭の中をめぐった夜でした。