舞台だったら良かったのに

 37本目、「運命じゃない人」。

 以前からいろんな所でおもしろいと評判の作品。監督の内田けんじ氏の新作「アフタースクール」公開にあわせた再上映で観ました。どんな話か全く知識を入れずに観にいったわけですが、お話自体は特に難解な部分もなく、説明的な台詞と丁寧な画作りで構成され、100分ほとの上映時間を適度に楽しむことができました。しかし、少し期待が高すぎたせいか、絶賛されているほどではなとは思いました。
 基本的に3人の登場人物がいて、各人が体験した一夜の出来事をそれぞれの視点で描き、その出来事の中で同時に進行していたまったく別の面や各人の意外なつながりが明かされ、あらびっくりってな感じの内容です。
 最初に登場するマキ(霧島れいか)のエピソードの時点で非常に説明的。というか台詞でほとんどの説明してしまう。これを観て、「えっ、これでいいの」って思っていたらこの後も基本的に会話しながら、ネタバラシのような説明台詞の応酬。
 気の弱いサラリーマン宮田(中村靖日)のエピソード以降は、後付け的なお話が延々と展開するだけで、何が起こるかわからないある種のドラマが展開されるわけではなく、絶対に完成するとわかっているパズルを組み立ている人を脇から眺めているような、妙に引いた感じがしていしまいました。
 PFFスカラーシップ作品といっても低予算映画ですからできることの限界があるので、あのようなトリッキーな脚本の構成を持っている割には、画で見せたり、語ったりするのではなく、俳優に台詞を語らせることでほとんどの状況をまわしています。
 これは、手法として演劇(舞台)の演出手法に近いように思えました。舞台では設定できる場面は物理的に制限されているので、どんなに「セット」を展開してみせても、本当に場所が変わる訳ではありません。そこで暗転したり、セットを組み替えたり、同じセット内でも人物の配置を変えたりして、場面(状況)を転換します。その上で、一旦巻き戻ったりしながら、ある程度説明的な台詞を交えることで、お話を効果的に進めるのです。この映画はこの演劇的なやり方の癖が強いように思えました。(監督の内田さんは舞台好きかもしれません。)
 また、人物ごとに視点を変え、同じ出来事の別の側面を順を追って見せるやり方も、上で書いたような舞台演出で多用される形で、これをやっているからといって新しいとは思えませんでしたし、お話の内容やテーマという点から言っても、小劇場系の劇団なら普通にやっていることでしかないなと思ってしまいました。(すこし辛口ですね。)
 それとハートウォーミング系コメディー+ハードボイルドテイストという、割と典型的なお話やキャラたちも、良くできている範疇を超えることなく終わってしまい、少し肩透かしだったのが正直な感想です。
 登場人物の内面など抉る必要はないと思いますが、それにしても記号的部分が強く、説明的であるわりには背後のある事柄が決して透けて見えない造形で、探偵の神田(山中聡)と女詐欺師あゆみ(板谷由夏)はその典型で、哲学的な台詞を語ったり、世の中を斜に構えて見ている(この2人は対照的な考えを持ったペア、この辺もわかりやすい)割には、それに重みがない(そう思ってしまう背景がない)のは致命的ではないかと思いました。
 それと台詞偏重や説明的であることの証拠として、映画的な演出(映像として語る)という部分が少しおろそかなのが気になりました。
 最近の例として「バンテージ・ポイント」などでも感じたのですが、幾つかのエピソードやシュチュエーションを多角的に語りながら、後出し的に事実を付け加えていくことは、最初から問題を出さないでおいて、いきなり答えを発表するようなものだと僕は考えていて、それはないでしょと思うことが多い。
 この作品にもそれが当てはまり、宮田が新しい出会いに希望を見出している間に、探偵の神田やヤクザの親分浅井(山下規介)がどうしていたとか、宮田をだましていたあゆみが本当はどんな女だとかは、できれば並列的に語られないとフェアとはいえないのではないでしょうか。
 「実はこの人はここでこんなことをしていたんだよ」ということは、一応ミステリーみたいな味付け(演出)をしているのだからと、できれば流れの中で同時的に語られないとダメじゃないと映画を観ている間何度か思うことがありました、これなら観た感じがもっと複雑になってもいいので90分くらいにまとめて、視点をグルグルまわしながら、お話を展開したほうが面白かったのではないかと思いました。
 また何点か気になった部分があったのですが、まず神田の容姿や衣装、そして仕事で使う車。リアルより記号を優先した結果だとは思いますが、あれは目立ちすぎる。(ヤバイモノ返しにヤクザの所へ行くのにあの車はいかんだろう)
 それとあゆみの容姿については、詐欺師ということで致し方ないとは言え、観客が最初に目にするのが宮田のPC内に写真(黒髪のロングヘアーで清楚な感じ)ということで、その後登場する彼女の見た目(ショートヘアーでパンツスーツのパリッとした感じ)との差が大きすぎるように思えました。せっかく説明的な映画なんだから、ワンクッションはさんでわかりやすくしても良かったと思います。(彼女の本性については、その後の展開で散々説明できてましたからね)
 それと「何でも屋」を何気なく使うのはよしたほうがいいと思いました。(ギャグだとは思いますが)
 最後にもう一つ、コメディとして部分。ここまで散々知っているように説明的であることを優先するあまりに、非常にテンポがゆるく、間が悪い。
 役者の演技はみんな平板で起伏乏しく、回りくどい割には面白さにつながらない。その上、役者自身の持つ面白さやおかしさといったポテンシャルがあまり生かされていないのが残念。
 画的なはまりは悪くないのに、内側からにじみ出るものが希薄なので、その点はこれからなのかなあと思いました。
 総じてよくできた自主映画ということ感じで、そういう意味ではPFFなのも納得なのですが、去年だかに観た「14歳」のような作品もあるので、もっと映画的な何かをキチンと組み込んだ作品を作ることができれば、大化けするかなとは思いました。本格的な商業作品である「アフタースクール」はどんな感じなんでしょうね。