境界を超えるということ

 32本目、「ミスト」。

 なにかとオチばかりが話題になっている感がありますが、監督のフランク・ダラボンが本来あるべき場所に帰ってきたことを喜ぶべきであり、オーソドックスなアメリカンエンターテイメントとしての映画をキチンと作った結果として評価すべき作品だと思いました。
 それこそあのオチに関しては、一昔前で言えば、トワイライトゾーンやクリープショウの1エピソードのような佇まいを漂わせる投げっぱなし感で、その上序盤に大変目立っていたある人物が画面に映りこむにいたって、本当の意味で「大どんでん返し」が起こるという念の入れよう。
 しかし最近の作品で言えば「クローバーフィールド」などにもいえるんだけど、現在のアメリカは本土が何ものかに襲われたというトラウマ的経験に取り付かれている。襲われた後どう展開するかは、作り手のスタンスによって違ってくるんだけれど、「ミスト」の場合は、霧の襲来後密閉空間となったスーパー内部が「9.11テロ」直後のアメリカ国内の状態のアイロニーなのは一目瞭然で、その中の自分たちを襲う何者かがいることを告げるのが、ダン役のジェフリー・デマン。(ダラボン組の役者として重要なポジション。この後も要所しめる活躍ぶり。)
 その後の怒濤の展開の中に、英雄的行動、疑心暗鬼、恐怖・パニック、死に行く人を間近に観る経験、出口のない閉塞感などあらゆるものが詰め込まれていきます。
 人間は互いに助け合わなくてはと思ってはいても、その実犯人を捜したいだけだったり、他人より優位に立って判ったフリをしたいだけでしかないというあまり認めたくない側面を、主人公デヴィッド(トーマス・ジェーン)や黒人弁護士ブレント(アンドレ・ブラウアー)、カソリック原理主義の女ミス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の行動という形を取って表出していきます。
 以外とスゴいなあと感じたのがカメラワーク。冒頭はオーソドックスなフィックスの画面を中心とした正調な雰囲気で始まり、すれ違う軍隊の車両を主人公の乗る車の窓越しに捕らえることで世界の変質を明示し、言いようのない不安が町を覆い始めたことを表現。その後のスーパー内部では、手持ちカメラと素早いパーン・ズームという最近流行のドキュメンタリー風撮影に変わり、絶妙なアングルの取り方(物越しに人物をのぞき見る)で、基本的に話の中心にいる人物にフォーカスが当たっていいるんですが、ピントの合っていない奥にいる人物の言動を意識させるなど、ほとんど音楽の流れない状況とあいまって、強い緊張感を生み出していきます。
 そんな実録フィルム的な画が続く中、後半の山場のひとつ、スケープゴートとしてまさに生け贄となる二等兵  の場面などは、群集の目線の高さで進行するドラマが、二等兵が刺され店外へと追いやられる場面へとつながり、それまでにない流麗なカメラの動きによる1カットと上からの視線が交差し、哀れな二等兵の運命と狂気に侵された群集を写し出します。
 放り出されたが巨大な何かに連れ去られた後、店内で満足げにミス・カーモディを見つめる人々のシーンの恐ろしいこと。(ここでも重要なのは、ダラボン組のウィリアム・サドラー演じるジム、今作ではサドラーは大活躍。)
 低予算(撮影期間が短い)の映画なので、何かと制約があったとは思いますが、そこは状況を逆手に取って、「次第に姿を現し、人間を害していく霧の中の怪物たち」というコンセプトを際出させるやり方が映画をいい方向に導きます。
 体をシャッターにぶつけたり、暗闇で何かに引っかかって転んだり、遠くから飛んできた虫(羽虫)がいきなり窓ガラスのバーンとか、ホラーとしては基本に忠実なやり方で、張り詰めた空気を切り裂く仕掛けが随所に機能しています。何か起こるぞと思わせておいて、大きな音をたてるだけという単純極まりないやり方が横行している現状で、どうしたら観客は驚くかをキチンと理解したやり方を取っているのが交換が持てます。
 「クローバーフィールド」では、結局我慢できず(実は予算的もやりやすかったんでしょう。)、早い段階で全体を写してしまった怪物の姿についても、多くがその正体の全貌を見ることができないまま進むのもいい。想像上の怪物は観客がそれをどのようなものか想像できてしまった時点で陳腐化してしまうのだから、「何だかわからないもの」であり続けることが重要なのだと思いました。
 比較的小型の怪物は全身が写され、その生態まで提示されますが、大きな肉食系の怪物(触手の本体や蟷螂的なの)は、その姿は見えても決して存在が鮮明にはならない。(最後のデカ物もそうですよね。)
 そういう点では、絶対に人間を襲うかどうかもあやふやな点があり、彼らを恐れているのは結局人間の側だけかもしれません。
 オールドスクールなモンスターのデザインが全体に良い感じ。BWLみたいな髑髏をモチーフにした昆虫たちは愛らしくてよかったです。薬局のクモが吐いた糸がゆっくりと漂いながら落ちる時のスピードのコントロールや触れると強酸性で一気に体が溶けるあたりの緩急が抜群。触手のモンスターは結局本体が見えず終いでしたが、パカーッと開いて口になるディテールとそれに食われた部分からちゃんと血が吹き出るという基本が守られていたのがよかったです。(ノーム君はシャッターで頭打ったり大変かわいそうでしたね。)

 フランク・ダラボンという人の監督としての評価を決定づけた作品は、やはり「ショーシャンクの空に」に尽きます。この作品も見事なまでにフリ→オチがきいている訳ですが、ティム・ロビンス演じる主人公が本当に妻を殺したかという謎の提示から始まり、やがて生涯の友となるモーガン・フリーマンの目を通して真実が明かされる過程が気持ちのよい作品です。ここまで見事な映画ならアカデミー賞やれよと当時思ったものです。
 「グリーンマイル」は力作でしたが、原作にあった非常に重要な要素をキレイさっぱり取り除いてしまった上に、オチだけ同じという歪な構成になっていたため、非常に残念な作品になってしまいました。(今回は新たなオチを付け加えることでこの時の失敗を取り返しているかも)それでも、3時間あまりの作品なのに最後まで飽きさせないのはすごいですけどね。

 一部でクリスチャン・モンスターと称されているミス・カーモディですが、マーシャ・ゲイ・ハーデンが熱演。最初画面に登場した時は決して悪い人という印象ではなく、他人とコミュニケーションを取ることが苦手で目立たないタイプという感じでしたが、一転して世界が霧に覆われてしまうと攻勢に乗じ、恐怖より自身の存在の価値を証明しようとする姿は健気でもあり、そして何かに固執する人間の恐ろしさ、悲しさをよく表現していたと思います。
 それにしてもすごいなあと思ったのが、ミス・カーモディがトイレで神と通信しているシュチュエーション。電波な内容の会話(独り言)なのですが、これから自分は努力しますから、自分と自分が認めた人間だけはちゃんと救ってくださいねというどちらかというと神様とは正反対の対象にお願いしているような内容で、彼女自身の内面や信仰という行為裏側にある狂気がさりげなく描かれています。
 これは、明らかにイケテナイ人生を歩んできたミス・カーモディが「ここは一発逆転」と自らに誓う場面なのですが、そこに出くわすことになるのが新任教師のアマンダ(ローリー・ホールデン)というのも皮肉。明らかに勝ち組感を漂わせ、どんな状況でも冷静で理性的に振舞おうとする彼女は、何気ない感じでいつもようにある行動をとります。
 トイレにうずくまり涙を流すミス・カーモディ(アマンダにはそう見える)に、「何か力になれることがあったら言ってね。お友達になれたらいいわ」(アメリカの映画にはよくある台詞ですね。) と声をかける。
 アマンデにしてみれば大人として当然の態度だったかもしれませんが、その完全に上から目線の物言いに、「お前なんかと友達になるくらいなら、便所の汚物と仲良くしたほうがましだ!」といい放つミス・カーモディ。
 このルサンチマン大爆発な発言を何気なく入れておいて、後に力を得たミス・カーモディが、なぜ主人公デヴィッドやアマンダに固執するかということに対する伏線としての機能を与えているあたりが、さすがダラボン、判っていると感心しました。
 それにしても、この手のエピソードは学園もの映画(コメディでもホラーでも)にはつきもので、「いつもは日陰者の登場人物が状況の変化を巧みに利用して立場を逆転させる」というお約束パターンを思いっきりマイナス方向に利用した上手い例になったと思います。
 だから、極限状態の人間集団が扇動され、ある方向へ意識を集約させる現象として見てもいいんですが、混乱状態(世の終わり)の中でミス・カーモディという個人が、彼女にとって一番いい過ごしやすい状況を自らの努力と根性で作り上げたように、僕には見えました。終盤のスーパー脱出の場面で、デヴィッドら脱出組の前に立ちふさがる彼女の雄姿は見ものです。

 2回目の感想として「人が悪い」という表現を使いましたが、この作品はラストのほんの少し前までは、典型的な「世界は変わってしまった」というお話です。日本では黒澤清などが得意とし、アメリカではカーペンターなどが上げられますが、侵略モノ映画としてはオーソドックスなお話と言えるでしょう。
 スーパーを脱出した主人公一行は、絶望に満ちた新たな世界を周り、ある選択を強いられ、それを実行に移します。(何故リボルバーが登場したのか、最初に12発の弾丸が提示され、ストーリーの進行に合わせて残弾数がキチンと説明されているのは、このため完全なフリです。)しかし、そのことは結局古い世界との決別には結びつきません。主人公はあちら側には行けません。
 もし、デヴィッドが車の中で数日を過ごした後、あのオチが待っていたとしたらどうなっていたでしょう。主人公は日常とは別の世界へ完全に行ってしまい、我々とは関係ない映画の中の悲劇として、きれいに完結したかもしれません。でも、デヴィッドはミス・カーモディのようには日常を超えることはできません。
 自らの行動の重大さを受け入れることもできない主人公は呆然とし、そのすぐ横を日常の属するものが通り過ぎていきます。その上ご丁寧にそれまで視界をさえぎっていた霧は完全に晴れ、一瞬にして世界は元に戻ってしまう。せっかくちゃぶ台をひっくり返したのに、受け止められて元に戻され、何事も無かったようにはい終わり。
 この宙ぶらりん感は本当にすごい。誰もが考えそうではあるけれど、それをこのように見事に形にできる人は少ない。本当に素晴らしい最後だと思います。
 またしてもマーク・アイシャムな音楽だったんですが、エンドロールが終わるまで延々と続いたヘリコプターのローター音や車両の通り過ぎる音が後味の悪さを引っ張るだけ引っ張るような効果を及ぼしていたと思いました。

ショーシャンクの空に 公開10周年メモリアル・ボックス (初回限定生産) [DVD]

ショーシャンクの空に 公開10周年メモリアル・ボックス (初回限定生産) [DVD]

グリーンマイル [DVD]

グリーンマイル [DVD]