どうしても言っておかなくてはならないこと

 26本目、「大いなる陰謀」。


 ロバート・レッドフォードの久しぶりの監督作品。邦題は仰々しい割には映画の内容を正確に伝えていないあまり良くないタイトル。映画の中で実は陰謀は描かれない、これは戦争と社会構造に関する物語だ。


 「9.11テロ」以降、イラク戦争の泥沼から抜け出せないでいるアメリカ。ある日の朝、3つの場所でそれぞれの物語が始まる。描かれる場面は以下の3つ。


 野心家の上院員議員アーヴィング(トム・クルーズ)とジャーナリストジャニーン(メリル・ストリープ)↓
 アフガニスタンに駐留するアメリカ軍。前線の2人の兵士アーネスト(マイケル・ペーニャ)とアリアン(デレク・ルーク)↓
 公立大学の研修室、指導教官マレー教授(ロバート・レッドフォード)と欠席気味の受講生トッド(アンドリュー・ガーフィールド

 それぞれの状況はほぼ2人の登場人物の会話だけですすめられ(時間的には同時進行の3つの状況)、場面転換は上の順番で行われる。(1つの状況で語られたことが、次の状況で起こることの説明であり、それを受けた次の状況がストーリーを押し進める。)
 これはある意味円環した物語だ。世の中に起こることには始まりと終わり(原因と結果)があるということが必要に提示される。起こったことに結論は無く、1つの事柄が終わってもそのことが原因で次の事柄が始まり、それは終わることが無い。そのため映画の中で引き起こされる事柄について、観客はなぜそうなるかを否応無しに考えさせられることになる。
 映画の中でやはり重要なのは、トム・クルーズ(久しぶりの純粋な俳優業)とメリル・ストリープが演じた状況。政治とマスコミ、社会扇動とジャーナリズムの最果てが描かれる。それは今のアメリカがどのように形作られたかということの解説であり、政治とマスコミの深い関係の本質が垣間見える。
 アーヴィングは野心的であっても悪役ではない。ジャニーンは優秀であるからこそアーヴィングに取り込まれていく。そのことが議員執務室という1つの状況に中で的確なカメラ割りで描かれる。(しかし合成とはいえ実在の政治家を画面に映してしまうのはスゴい。)
 また偶然とはいえ、ビックリしたのが2人の兵士が学生だった時に行う主張(彼らはマレーの教え子)。マイノリティ出身の彼らは優秀ではあるが決して裕福な境遇にはない。大学を出ても多額の学資ローンを背負うことになり、このままでは経済的成功からはほど遠い。(しかし大学にも行けないマイノリティのその他の人よりは幸せなのだ。)
 そこで2人が考えるのが十代の学生を強制的に社会活動に参加させるための徴兵制。全ての人が公平に国のために働くことで不公平(格差)を是正することができる考えた彼らは、データを積み上げ、他のゼミ生を説得する。何かをしなければこの固定化されたされた社会は変わらないという純粋な気持ちが、最後には彼らを自発的に戦場に追いやることになる。
 アメリカは実力社会だ。しかし「機会」は決して平等でない。裕福な白人のアーヴィングは優秀なので士官学校を卒業、実際の戦場に赴くこと無く出世、その後政治家に転身し、安全なワシントンで自分の野心のために無謀な作戦を指揮する。同じ様に優秀ではあってもマイノリティや貧乏人は吹雪の戦場で命をかけて作戦を遂行する。両者は同じように国を愛する・国のために尽くしたいと言うが、おかれている立場は天と地ほどの差だ。(その上払った代償に対して受け取る結果にも大きな差がある。)
 確かに直接戦場に出ることのない今の日本ではこんなことはないかもしれない。しかし、僕自身は海の向こうで起こっている他人事とはどうしても思えなかった。格差や徴兵制といったキーワードは日本でも最近よく聞く言葉になっているからで、この状況が明日の日本でないとはいえないように思えるからだ。
 レッド・フォードは自らの後悔を非所に愚直な手段を用いて描いている。
 自身の登場する場面では年下の学生にやり込められながらも、かつての理想や大人としての役割を忘れ、社会に迎合してしまった結果、教え子を戦場に送ることになった教師を演じている。これはあの戦争に反対するアメリカのある世代の大人の実情なのかもしれない。
 あの日以降の「今」に対して何もできなかったという意味では、自分も「ライオンを率いる羊」の1人なのかもしれない。そんな後悔を埋め合わせるべく、彼はトッドを説得する。映画はそれが成功したかどうかは描かない。(トッドがどうしたいかも描かない、しかし彼が戦争や政治に強い関心を持っていることは明らかだ。)
 大した陰謀じゃないとか、娯楽としてもっとちゃんとした方がいいとか言われちゃってる作品ですが、今の世界を考えるにはこれぐらいの愚直さを、僕らは照れること無く持つべきではないかとそんなことを考えさせられる良作だと思いました。