命が軽いのは当たり前、だってこれテレビだもん。(追記あり)

 20本目、「クローバーフィールド/HAKAISYA」。
 話題の映画なので特に説明しませんが大変たのしい「怪獣映画」でした。
 僕の感覚では、これは「9.11についての映画」という感じはあまり無くて、純粋に「怪獣が出てくる映画」と割り切ってみたほうが面白いのではないかと思いました。(まあ、緩めの作りなので深読みはいろいろできますが。)
 そういう点から言えは、これは正統な「ゴジラ映画」であるということはもちろんのこと、「グエムル」の兄弟であると感じました。
 期せずして、東西両側の海の向こうで、日本の怪獣映画の亜種が誕生したことにはある種の感慨を覚えるのですが、また同時にこのような映画は日本では作れない種類のものでないかとも考えてしまいました。
 例えばこの映画で採用された「事件(災厄)に遭遇してしまった市井の人々の視点」からというアプローチは、あるジャンルの映画のフォーマットを作り出してしまった文化圏では何処までいってもパロディとしてしか機能できず、製作することは可能でも、その扱いや評価は正当なものとして機能し得ないのではないかと思います。(「大怪獣、東京にあらわる」がその例。)
 日本には「平成ガメラ」シリーズがあるので、後10年ぐらいはこのジャンルで闘っていけるでしょうが、伝統芸能としての「怪獣映画」が自ら新しい何かを形成することは難しく、新しい血は常に日本以外の何処からやってくることになるでしょう。
 ですから「グエムル」以降として表現された怪獣映画が、このような形であることは何ら不思議なことではないし、海外の人がこのような映画を撮ることはある意味必然なのです。また、この映画がアメリカ製である以上、絶対に「ハリウッド版ゴジラ」の失敗から影響を受けているとは間違いないでしょう。

 でもー、手放しに褒めていいかと言うとさにあらずと言うのが本心で、意欲的に選択された「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」的なリアルが、結局のところお話の足を引っ張ており、ストーリーが明示的に存在するという構成がドキュメンタリー的であることの意味を結果として毀損してしまっているので、非常に残念な結果と言わざるを得ない。
 少し難しい漢字が多くなってしまったので、ここで軽めにツッコンでみよう。

  • 素人の撮ったビデオの映像という設定なので、最初こそ激しく揺れたり、フレームの中に被写体がキチンと収まらないというテイの映像が続きますが、パーティーが進むにつれて、展開に合わせた的確なフレーミングで、映像が物語を語り始めてしまうので次第に覚める。それにこの程度では、計算にされた部分に目が言って、酔えない。
  • 臨場感あふれる良い表現が積み上がることで、逆に展開の都合の良さが際立ってきてしまい、これが作り物だという確信が強まるばかり。いろいろと説明したいのね。
  • でも、「宇宙戦争」をあんな形にまとめることしかできなかったスピルバーグに比べると、こちらの方が本質的に今日的な演出と言えるな。どんなことであれ、丁寧に判らせるという意味では、今でもスピルバーグは圧倒的だけど。
  • 倒壊するビル、吹き上がる砂塵といった「9.11テロ」の時に我々が目にした映像を的確に再現しているシーンは良い。監督以下スタッフは、あの決定的な瞬間を写し取ったフランス人のドキュメンタリー作家に強い対抗心を燃やしていたに違いない。(妄想!)
  • J・J・エイブラムスということで、キャメロンの影が強いかと思っていましたがそうでもなかった。しかし基本構造は「タイタニック」でキャメロンが使った枠組みと同じ。
  • 最後のほうで軍人に拘束されるけど、あれはいらないじゃないかな。のちの展開に寄与していないし、軍人の行動が変。無くてもヘリで逃げる方向に持っていくことは可能。ましてやマレーナの死に様をあんな形にするなら、路上で派手に弾けさせた方が良かったと思う。やっぱりいろんな意味で説明したいのね。
  • ヘリが落ちた時点で映画は終わっておくべき。それ以降の展開は、あらゆるシーンが完全にサービスカット。(客が観たいという意味でポロリと同じ。)
  • 所々で編集された痕跡(特に後半)があるが、そうすると「偶然残された記録映像を垣間みる」という映画の前提が崩れる。アーカイブとして保管されている映像であるなら、上書きされた「4月の展開」があることに矛盾するし、未編集の映像なら例えば高層マンションを上ったり、降りたりするところが部分的にしかないのがおかしい。(本当なら「16ブロック」みたいにリアルタイム進行のはず。)
  • ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の不快さは、映画として映っているべきものがキチンと映っていないことである。その点この映画はキチンと設計されているが、それ故に作為がバレバレになっていく。
  • しかし、怪獣の造形に関しては何とかならないものか。ヌルヌルした表皮、全面牙の口と細長い頭部、大きく歪な形状の前腕と腹の辺りの副碗、腕のように使える巨大なしっぽなど、「グエムル」との共通性も多いが、リプリーが闘ったアレにも似ている。(Youtubeの映像が正解ならニューヨーク襲ったこの怪獣はメイドイン宇宙ということ。)それと、付属品の使い方にセンスが無い。(アワワワワって言ってる小さなアレ。)
  • 「恋人とコニーアイランドで楽しい1日を過ごしましたとさ、チャン、チャン。」というオチがつくことには感心しました。というか、この種の映画であそこまでしっかりしたオチは無くても良かったかなとは思います。

 アトラクション的と揶揄する向きもありますが、作品としては大変面白く、1800円出してみる価値のある1本だとは思います。あと全体を通じて感じたのが、すべてがテレビ的であるということ。
 プラスの面で言えば、中盤命からがら逃げる主人公たちが略奪にあった電気屋でテレビの中継映像に見入るという場面があるのですが、この辺のシーンの扱いのさじ加減が映画畑の演出家にはできない小気味良さがありました。情報を獲得するツールとしてのテレビの日常性について、自覚的に振る舞える映画演出家は少ないと思います。逆にテレビドラマの演出をやっていた人が映画を作ると巧くいくことが多いと思います。(最近の例では「バンテージ・ポイント」)
 しかしマイナス面もありました。それは上でも書いたように、説明しすぎてしまうこと。劇伴なしで手カメというリアルな映像記録のはずなのに、登場人物や彼らが体験する状況が説明的すぎる。「逃げる」という最高の状況設定をじっくり描くのではなく、何かが起こることに力点が置かれてしまい、安易なドラマが展開されるのはいただけない。(地下鉄のホームでの一連のやり取りはダメだと思った。)
 明確なオチがないことは、映画においては弱点ではありません。投げっぱなしでも、やり方次第では良い結果を生むことは過去にたくさんの例があります。あくまでも全てを理解してもらおうというテレビ的な姿勢は映画にはいらないよと思いました。
(追記)
 それと、今日のエントリーのタイトルについて。ことさらにリアルを強調しながら、作り手は明確に取捨選択を行っている。死ぬ人、そうでない人は展開に合わせて選ばれる。でもそこに特別な意味はない。だって、娯楽だから。ここでそうなったほうが面白いと言う原理が働くだけ。徹底していればある種の思想性を見いだすことも可能だけど、物語の構造が弱いのでキチンとドラマとして機能しないし、そこまで考え作っているとは思えない。「トゥモローワールド」なんかに比べるとその辺が弱い。(怪獣映画のフォーマットに対して愚直だとも言えるけど。)

 追伸:影の主役であるビデオを撮ってたハッドは、空気読めないキモメンキャラなのに最後まで律儀にカメラを回し過ぎ。(死んだ自分の姿まで。)せっかくならアレに食われて、内部映像を独占入手!みたいな展開が観たかった。

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