あなたのすることは私を困らせる。でも本当は...(ルーマニア編)

 18本目、「4ヶ月、3週と2日」。
 80年代後半、いまだチャウセスクによる独裁体制にあったルーマニア。望まない妊娠の末、当時違法であった人口妊娠中絶を行うことになった女性カビツァ(ローラ・ヴァシリウ)とそのルームメイトのオティリア(アナマリア・マリンカ)の1日をドキュメンタリー風の映像で追った1本。

 映画の冒頭、主人公オティリアはカビツァの世話をやいています。おっとりとして行動力の乏しいカビツァと仕切り屋で世話好きのオティリアの対照的な人物像が室内のみのシュチュエーション(固定カメラ風)で、手際良く語られます。体調の悪そうなカビツァはダラダラしているだけ。それを横目にオティリアは、寮の中を飛び回り、必要なものを手に入れていきます。
 ここまで10分ぐらいなんだけど、割と面白い。共産圏では現金とタバコなんて言われてた(?)のを聞いたことがあるんだけど、それがどんなことかスッキリわかる描写が続く。監督のクリスティアン・ムンジウ(ルーマニア出身)はかつての生活を的確に表現していきます。
 このあと、場所は市内のホテルに。なんだかんだと言って、大事なことをオティリアに押し付けるカビツァ。
 ホテル(堕胎する産婦人科医の指定)の予約に失敗、そして急遽別のホテルへ。堕胎を行うべべ(産婦人科医、ヴラド・イヴァノフ)の迎えにも行かない。取引の報酬についてもキチンと決めていないなど、行き当たりばったりな彼女の行動がいやというほど映し出されます。自分のことなのに当事者意識が薄いというか、どうしようもない状況下でテンパってるというのは理解出来ますが、それにしても彼女の行動はお粗末。ヤバい橋を渡る割にはスボラな計画しか立てていなかったカビツァに、オティリアは翻弄されていきます。
 その上、産婦人科医べべは恩着せがましく、時として善人面をしながら、下世話な要求を忘れない。2人の不始末を逆手にとり、オティリアの体を要求する始末。オティリアはそれに応じるが、カビツァは泣いているだけ。
 ここに来てオティリアは初めてカビツァの言動を非難しますが、その声に覇気はない。本気で怒っている訳ではなく、ただの愚痴。振り回されているのに相手を憎めない様子が表現されています。
 
 今日のエントリーのタイトルは、僕の完全な妄想なんですが、登場する2人の女性の関係性があまり明確に語られることなく物語が進んでいく。単なる友達ならあそこまでする訳ないだろうという展開があったりするんですが、オティリアがそこまでする理由が不明なので、ついつい邪推してしまう。
 オティリアには恋人がいて、後半その男の母親の誕生日に招待され、大変な目(カビツァの件とは別の意味で)に合わされるんですが、そこでオティリアは彼氏にことの次第を告白します。真剣味のない男の態度にキレる彼女。「あんただって生でやってんだから、いつ私がこうなってもしらないわよ」(これは下品)という感じ。この辺を観ると彼女がカビツァを助ける理由が暗に示されているのかなとも思いました。(でも、そうするとカレシへの素っ気ない対応とカビツァへの粘り強い対応との差が気になる。)

 ここからが映画的なことを箇条書き。

  • 最初、そのドキュメンタリー的な手法から「ドグマ95」系かと思ったら、「ダルデンヌ兄弟」だった。
  • ダルデンヌ兄弟」系なんだけど、社会問題を告発するような視点はなし。共産党による統制国家の情景、堕胎の賛否、弱者を食い物にする輩の存在など社会派的なテーマはちりばめられていますが、それが普通の情景として描かれ、問題だという押しつけはない。クリスティアン・ムンジウはそういうことではなく、あくまでも2人の女の物語として映画を作っている。それはそれで吉。
  • 物語の後半どうするのかなあと思っていたことが1つ。それは堕胎後の展開。「トイレに流すとつまるからダメ、埋めると野良犬に食われるからダメ、ビルのダストシュートに捨てろ」という丁寧なフリがべべによってなされているので、当然それに沿った流れに。ここからがポイント。
  • 降ろした子供をどこまで表現するか。これは以外と簡単にクリア。少し引っ張った展開が事前にあるんですが、そのものバッチリが映る(当然模型)。堕胎の作業も丁寧に撮っているので、徹底して写実的で、ある意味容赦がない。劇場で近くに座っていた男性客はこのシーンを観ることができす、目を手で覆っていました。
  • オティリアはそれを包んで鞄の中に入れて夜の町へ。捨て場を探すオティリア。ほうぼう彷徨いますがなかなか好い場所がない。その様子を後ろから前から、手カメで追います(ここもダルデンヌ風)。ゆれゆれの画面、廃墟が連なるような町並み、闇に包まれた情景、野良犬や不気味に見える男たち。不安な彼女の心情に観客が感情移入していく大変素晴らしいシーン。果たして目的は達せられるのか、本編のクライマックスと言えるでしょう。(ネタばれすると、ここでも目的はあっさり達せられ、観客は彼女同様にほっとすることができる。)

 どちらかと言うと大きめの舞台設定をしているがそこに展開されるのは、ミニマムで濃密な関係性。
 ことが終わり、何事もなかったように日常を取り戻し始めるカビツァ。
 最後のシーン、這々の態で帰ってきたオティリアをよそに食事をする彼女。食べているのは肉料理。水しか口にできないオティリア。
 冒頭とは正反対な2人。本当に強いのは果たしてどちらなのか。本当に2人の関係を支配しているのはどちらなのか。明確化できない関係は不幸なことなのか、一方的に苦労を背負い込むような関係は不幸なことなのか。
 観賞後、そんなことが頭をめぐっていた映画でした。

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