ベース音が気持ちよかった

 17本目、「CONTROL(コントロール)」。
 イギリスのバンドJOY DIVISIONジョイ・ディヴィジョン)のボーカル、イアン・カーティスサム・ライリー)がバンドに参加、成功する過程で様々な悩みを抱かえて、わずか23歳で自殺するまでを綴った伝記映画。
 70年代の終わりから80年代にかけて、ポストパンクの音楽が花開く前夜のマンチェスター。新しいムーブメントの胎動の中で、それまでの音楽とは違う何かを内包していたジョイ・ディヴィジョン。彼らは一介のインディーバンドからメインストリームへ躍り出そうとするまさにその時、バンドの中心であったイアンが自殺。アメリカ進出のその日に起こった悲劇。残されたメンバーは新たなバンド「ニュー・オーダー」を結成、現在に至る。
 イアンは内省的でネガティブな状況を独特の歌詞と歌唱法で歌い、人気を得る。
 残念ながら僕自身はその時代を知らない。彼らが日本に入ってきた頃、僕はまだ洋楽など聞いていなかったので、その時の雰囲気はわからない。20代後半になってから、いろいろなロックを聴くようになって、ニュー・オーダーと出会い、その前身であったジョイ・ディヴィジョンを知ることになったので、何かを語れるほどの情報を持っていないというのが正直なところ。 
以下、気になったところを箇条書き。
  • 生前のイアンが動いている姿を見たことが無いので、再現性が高いとのライブシーンに関しては、そうですかという感想しか持てず。これについては、ジョイ・デヴィジョンのドキュメンタリーがこの後公開されるので、それで確認します。
  • 監督のアントン・コービンが写真家とのことなので、モノクロ映像はシャープで構図も決まっているんですが、その分動的な表現に乏しく、映画のダイナミズムが感じられなかった。まあ、伝記映画にそういった要素が必要かとの意見はあるとおもいますが、中盤にあるイアンの出社シーン(彼はバンドが売れるまで職安の職員をしていた)は一連の動きがカッコ良く、『HATE』と大きく背中に書かれたジャケットをはおるイアンが素敵。(これから硬い職場に出社するのに。)
  • 一応ニュー・オーダーは知っているので、イアン以外のメンバーが似ていることは確認出来ました。バーナードがナヨナヨ、ピーターが悪そう、スティーブンはマジメ。
  • イアンの妻デビーをサマンサ・モートンが演じている。さすがに演技が巧く、十代の少女の雰囲気も演じ分けていましたが、さすがに画的にキツイ。「ミスター・ロンリー」のモンローのそっくりさんもそうでしたが、体つきがたくましすぎる。特に二の腕が。
  • ジョイ・ディヴィジョンというバンドの存在がすごい意味を持っていたことは実感できた。しかし、当時彼らはまだインディーのバンドだったわけで、今の世界的に売れたイギリスのバンド(オアシスとかレディオヘッドプライマル・スクリームなど)と比べても、まだまだこれからだったこともよくわかる。
  • イギリスの先進的なロックバンドはアメリカ進出を世界的な成功の足がかりにするんだけど、ここを巧く乗り切れないとそのまま消滅の憂き目にあうことが多い。(そうでない場合はそのままイギリス国内だけで終わる。)そういう意味では、アメリカ進出のその日に自殺したイアンがいかに強いプレッシャーにさらされていたかは想像される。
  • しかし、実際の映画の中身は、イアンの表現活動の行き詰まりやバンドメンバーとの確執といったことではなく、あくまでも私生活での問題が彼を追い詰めたとの文脈で進んでいく。ぶっちゃけ、持病(癲癇)と三角関係。それも病気1:浮気4ぐらいの割合。
  • 「繊細で感じやすいからうんぬんかんぬん」となるかと思ったら、十代でラブラブの相手と結婚(出産)、安定した家庭を築く→バンドで成功。仕事上で美人の女性と知り合う(生活感溢れる奥さんが疎ましくなる)→浮気がばれて奥さんともめる、愛人と別れると宣言(その場は収まる)→でも愛人とは分かれられない(引かれ合ってるから、いろんな意味で)→愛人と別れないので今度は奥さんのほうから三行半(身近な人から拒絶されてガーン!)→それでも愛人は優しいので依存していく→でも奥さんと対面すると裏腹なこと言ってしまう。後半はほとんどこんな感じで進む、これはスゴい。

 
 伝記映画としての大きな問題として、作り手のイアンに対する思いとそれを具体的に表現するという点に、若干の齟齬があるなあと感じる。
 原作が奥さんのデビー(デボラ・カーティス)なので、メンバー含め他人の知らないイアンの真実を描けている部分があるのだが、劇中デビーが自分の友達に語るように「どんなに有名になってもあの人は、私にとっては平凡な夫よ」という視点が良くも悪くも貫かれている。おかげでイアンを夭折したカリスマではなく、一人の人間として描写することには成功しているんですが、反面ミュージシャンとしての彼のすごさがほとんど伝わってこない。
 テレビの前やライブ会場で、デビーはいつもイアンに距離を感じている。熱狂する人々の中で彼女だけが冷静で、イアンの何が他者を引きつけるのか理解出来ない。その視線がキチンと映画の中で位置づけられている。(サマンサ・モートンはそういう意味でも巧い。)
 そのため観客は、いつも彼女の視線に引き戻されてしまう。盲目的な理想化を避けるために人間性を前面に出したまでは良かったと思うんですが、そうすると後半下世話な理由から追い詰められていくイアンが本当に小さな存在に見えてくる。実際彼が自殺した理由には世界をひっくり返すような秘密や理屈が秘められている訳ではないと思うんだが、それにしても優柔不断の末、三角関係に行き詰まり、自棄になって... 。
 そのわりには、終始イアンがカッコよすぎるのでバランスが大変悪い。へんなところで理想化しないで、ダメな男として押したほうが解釈としては面白くなったかもと思いました。

 あと曲の使い方なんですが、ライブシーンは非常に良かったと思いますが、それ以外で少し引っかかるところが。
 僕でも知ってる曲が2曲ほどオリジナルで登場するんですが(映画の後半)、デビーの友人の引越祝いのパーティーの帰り、思い余って「もう愛してない」とデビーに告げるイアン。困惑するデビーの中に疑念がわき、出かけた彼の部屋を物色。アルバムの内側に書かれた愛人の連絡先を発見、思わすそこに電話してしまう。
 このシュチュエーションのバックに「Love Will Tear Us Apart」。
 続いて、帰宅したイアンはデビーに浮気を問い詰められる。「愛人と分かれる」と告げ、その場を収めるも、結局分かれることはできずじまい。愛人アニーク(アレクサンドル・マリア・ラーラ)に微妙な態度を取ったため、奥さんにバレたのを感づかれ気まずい雰囲気に。「ああ〜、誰もわかってくれない。俺は孤独。」そこで歌うは「Isolation」。
 ある意味正しい使い方だとは思いますが、それでいいのかアントン・コービン

 とまあ、ファンの方には大変失礼なことを書いてきましたが、映画観て帰ってきた後に他の方の感想を読んでみると、非常に人間的な表現であったという点では共通しているので、感じたことは間違っていないのかも。
 ガス・ヴァン・サントの「ラストデイズ」みたいな変則パターンな伝記映画もあるんで、これもいいかなとは思います。
 でも、もう少し偉大な人物の人生を垣間見たなあと思える内容でもよかったんではないかと思うので、5月末のドキュメンタリーが楽しみになりました。

ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン

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