帰還についての物語

 44本目、「接吻」。

 このところなんだかモヤモヤした感じが社会を覆っているせいか、その感じを表現に結び付けたいと思う人間が出てきている。
 この「接吻」と言う作品は、実際には数年前に製作された作品なので、「今」を切り取ろうとした作品ではないかもしれない。しかし、秋葉原であんなことがあった日に、この映画を観たことにちょっと特別な意味を感じてしまった。内容としては「孤独」を扱った作品。僕がこの映画を見ようと思ったのは、単純に万田邦敏監督の新作だからというだけの理由でした。ところがこれがとんでもない出来の作品で、今年見た日本映画の中でも上位に入る快作でありました。(ひっそりと公開されるのがもったいないくらい)
 
 小池栄子(素晴らしい仕事ぶり)演じる遠藤京子は孤独なOLだ。ある日彼女はマスコミの前で逮捕される殺人犯坂口秋生(豊川悦士)を観て、直感的に何かを感じる。その直感に導かれるように彼女は仕事を辞め、坂口を知るために行動を始める。同じ頃、国選弁護人として坂口の弁護をすることになった長谷川(中村トオル)は、赤の他人ながら坂口に献身的な遠藤の存在を知り、坂口の内面を自信満々に代弁してみせる彼女に惹かれていく。
 基本的に3人の人物の関係にしぼって話が進むのは、「UNLOVED」という過去の作品と同じ。「独善」や「絶対的な孤独」といったモチーフは共通している。(万田監督はオリジナルの作品を奥さんと一緒に脚本を書く)しかし「UNLOVED」では、それを「恋愛」のみで表現しようとしたために、若干伝わらない部分があったように思うし、ある意味オチがない。
 今回はわかりやすい三角関係を提示しながら、「無差別一家惨殺」という事件を媒体にすることで、三者三様の人物をつなぎ合わせ、上記のモチーフを巧く昇華している。その上結果として「今」の空気を巧く表現してしまっているのだ。
 「自分が理解されない」という孤独、「人から決めつけられてしまう」という理不尽、それにあがらう為にまわりのあらゆるものに暴力という形で復讐する。そしてそれを成し遂げた者を「同士」として共感する。それは「恋愛」という形をとっても、より普遍的な意味を与えられている。
 前半、自分を語らない坂口を代弁するかのように饒舌な京子は、坂口の兄以上に彼を知っているように見える。そのことに圧倒される長谷川。彼は京子の発言をほとんど理できないが、それ故に手の届かない場所にいる彼女に惹かれる。
 しかし映画は後半にかけて変化していく。接見をとおして次第に親しくなる京子と坂口。最後には獄中結婚に至る二人には安定した関係が築かれていくが、個人としては大きな変化が訪れる。
 信頼できる「他者」を得た坂口は、それが故に今更ながら「人間性」に目覚めていく。(留置所で被害者の幽霊を見る・犯行現場の様子を思い出す。)
 対して坂口の存在で孤独感を癒す京子は、それ故に先鋭化する。加えて異物としての長谷川の存在が彼女の孤独を際立たせていく。しかし生まれて始めてある確信を得た彼女は圧倒的に強い。その「孤独」と隣り合わせの「独善」は暴走していく。このことがある悲劇的な結末を案じさせ、映画はそのとおり終わる。
 映画の冒頭で、すでに「あちら側」にある者同士の二人の結末は皮肉だ。京子という強烈な自我とその献身的な振る舞いのおかげで、坂口は「こちら側」に帰還してしまう。坂口自身がそれを望んでいたかどうかは関係なく。それ故に坂口の豹変に京子は激怒する。
 一方、長谷川は京子に無視されて終わる。(それどころか、すざましい振られ方をする。)しかし、それは致し方ないことだ。なぜならどれだけ物理的に触れ合える状況にあっても、二人が通じ合ったことなど一度も無いからだ。
 京子が一緒だと感じることができたのは「殺人鬼」としての坂口だけ。看守に連れ去れる彼女が最後に発する叫びは、まだ「あちら側」にいる彼女にとって、虚勢などではなく「真実の叫び」なのではないだろうか。
 このような形で今を生きる人の孤独を描いている作品はちょっと他には無い感じ。まあ、あんまり説明して意味がないので、この文章を読んで映画に興味を持った方はガンバって観てください。
UN loved [VHS]

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