自分的には究極のライフスタイル

 30本目、「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの世界」。


 とりあえず観終わった後に思ったのは、ヘンリー・ダーガー、マジうらやましい、ってこと。

 この世の中には、自分で「何か」を作っている人はたくさんいる。その中の多くが別に他人に見せたいだとか、プロになろうってつもりで何かを作ってるわけじゃないはず。「何かを作る」という行為が趣味の人にとって、それを世間にみせるかどうかは本質的には重要でないと思う。
 たぶんダーガーはこのタイプだと僕は思う。(←ここ映画の感想。)
 確かに死ぬ寸前まで、彼が何をやっていたか誰も知らなかった訳だけど、ダーガーが残したものに少しでも触れると、それがどうしたという気分になる。
 自分で作って、自分で消費する。そんな完全に完結した関係性の中で作られたものであっても、こんなにすばらしい表現ができる。ダーガーの作品はそんなものに見える。すんごい、うらやましい。

 芸術は確かにそれを受容する人がいないと成り立たないものだ。どのような種類の表現も、それが消費されなければ、存在したことにすらならない。
 そうであっても、人は何かを残したいと思うものだ。僕なんかもこのブログを日記だと言い訳しながらも、アクセス数が気になるし、何が見た人の気を引いたかについて気になるよ。

 ダーガーは自分の作品が人にどう思われるかを意識したかどうかは、映画を観てもわからない。
 何しろダーガーは、もう35年も前に死んでるし、彼の作品や表現を完全に理解できたり、説明できたりする人はいない。その上、生前の彼を知っている人も、彼が何かを作り出していたなんて、これっぽちも知らなかった。 そんな人たちを取材して得られた情報は、主に彼がどんな人物であり、どんな人生を送ったかということだけに修練していく。

 このドキュメンタリーは、それでイイのだろう。この映画は、ダーガー入門編とも言える内容なのだから、こんな不思議な絵や物語を作り続けた人がどんな人であったか、彼を全く知らない人(僕なんかね)に知ってもらうことが目的だろうから。でも、彼が描き出した世界がどのような意味を持つかなんて、監督のにも完全にはわからないだろうし、実際に画や物語があるのに、それに触れないままそんなことを考えても意味がないのだ。

 映画として話題になったのが、彼の生み出したキャラ(ヴィヴィアンガールズなんか)がアニメとして動くけど、それは面白かった。少女のキャラクターも良かったけど、マキマキの角をつけたキャラとか、大きな蝶の羽根とか、ヘビっぽいモンスター的なのがいい。あんな形はなかなか書けない。
 どうやら、本編の中では性的な部分や残虐な描写は省く方向で言ってるみたいなので、毎日ニエニエしながら自らの妄想を形にした彼の本質は観ることができなかったのですが、それでもお腹いっぱい。ぜひ、地方でも彼の作品を実際にみたいなあと本気で思いました。

 寂しくて貧しい老人といえばそうなんだけど、やっぱこの人は幸せだったんじゃないだろうか。映画の終盤、彼の大家さんが言うんだけど、施設に入れられた彼がすぐに死んでしまったのは、当然環境の変化と言う要因が大きかったとは思うんだけど、もうダーガーはあの部屋以外では生きれない、そんな状態だったんでしょう。
 そこまで全てをかけることができる何かを持ち得た幸福を、僕はうらやましいと思ってしまう。ちょっと無責任な意見だけど。

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で