完全なる孤独、あるいは永遠の安息。

 28本目、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」。

 ようやく感想を書けます。でも時間が経ってしまったので、言い尽くされた感はありますが、それでもがんばってみましょう。ストーリーは省略で。
 もう全編ダニエル・デイ=ルイスだけを観る映画。それに答える彼の芝居は、若干オーバーアクトながら、それをダニエル・プレインビューのキャラクターとして昇華しているのがスゴい。またあれだけ内面を吐露すること無いキャラでありながら、ダニエルが望んでいて得られないものが何かまでが伝わってきていまうというあまり無い経験ができる。それにしても、僕はダニエル・デイのスラッとした立ち姿が好き。
 ではここからは箇条書きで。

  • 劇中の重要人物として、息子HW(ディロン・フレイジャー)、永遠のライバル(笑)イーライ(ポール・ダノ)、偽弟ヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)とキャラぞろいながら、結局全てダニエルに持っていかれている。特にイーライ役のポール・ダノは俳優として本当ならもっと評価されてしかるべきクオリティーなのに、ダニエルに絡んでいる場面が多いのでその分損をしている(ラストの直接対決ではそれが顕著。)同じ画面に収まっていてもフレッチャー(キアラン・ハインズ)のほうが台詞は少ないが立ち位置的に印象的。
  • 歪なまでにダニエルに特化した内容にすることで、監督のポール・トーマス・アンダーソン(以後PTA)が今描きたいことが描けていたと思う。PTAのこれまでの作品では「家族的価値」の再考が見られるが、今作ではあくまでも1人の人間に焦点が当てられる。どこまでも深く深く、人間を抉っていく印象。それなのに大河的なドラマなのがどうなのこれっていう傑作。
  • 最近はあまり聞いていないレディオヘッドなんだけど、ジョニー・クリーンウッドの音楽は良い。映画冒頭の緊張感溢れる展開の「ギューーーン」や中盤の「チャカポコ」した音楽は素敵。
  • 他のブログでも語られているように、冒頭のほとんど台詞無い10分あまりの展開は音楽ともども圧巻。映画好きでなくても、これからとんでもないことが起こると感じさせるに十分(続く山師として住民を説得するシーンも間が絶妙)。あと天丼として繰り返される上からの落下物とか、平手打ちの応酬とか、繰り返されるモチーフが印象的(これってキリスト教に関係ある?)。油田の候補地を探す→交渉→試掘→発見→成功というストーリーの展開も連続する形。
  • それにしても全編が圧倒的にスタンダードな雰囲気を放つ。今までのPTAの作品は若々しく、実験的であったり、稚拙でもエネルギーで押し切るような力強さに満ちていたが、今作は抑制と計算の極地のような作りで、そういう意味ではキューブリック的。また作品で描かれる人物への距離の取り方も緻密で、近づきすぎず、それでいて内面を抉ることに成功しているので、上にダニエル・デイの芝居ともどもスゴい演出力。こんな仕事を40歳を前にして成し遂げて大丈夫かと心配になる。
  • ロバート・エルスウィットの撮影は、荒涼とした西部の世界を見事にカメラに収めている。あまり技巧的に派手ではないが、ダニエル・プレインビューの殺伐とした内省を反映したようなザラついた画面が全編を覆う。また横移動(ないしは横パーン)を多用した広い画が効果的に使われ、動的な開放感を補充する。(測量シーンやパイプライン敷設シーン、冒頭の山など)また、教会内のシーンでは簡単なセットでありながら、ライティングも含め如何わしさや荘厳さを綺麗に表現している。

 この映画はよく上からモノが落ちる。映画前半でそれが繰り返されるので、ドリフみたいという声もある。映画序盤、金鉱掘りを行っているダニエルがはしごから落ちるシーンがある。さして高いところから落ちたわけではないが、それでも足を骨折した彼は、金を発見しながらも、必死で穴を登り、一人で金の精製所にたどり着く。(無言で寝転がりながら結果を待つ彼が印象的だ。)
 その後金で儲けた資金を基に、数名の仲間と共に石油を掘り始めるダニエル。穴掘りの機械を作りながらも、偶然落下する錐。そこからはあふれ出る黒い液体。引き上げた錐に触り、それが石油と確信すると彼は手を高く掲げる。(何かにそれを指し示しているようだ。)
 その後仲間2人と石油をくみ上げる作業をするダニエル。突然滑車が壊れ、バケツともども落下する木枠が、下にいた男(HWの実の父)を直撃する。男は絶命するが、ほとんど同じ場所にいたはずのダニエルは災厄を逃れ、HWという人生の伴侶(奥さんじゃないけどね)を得る。
 なんという偶然であろう。幼子を見つめ、乳を与える彼は、柄にも無くその子を育てながら、石油を探す旅を始める。映画はココで始めてダニエルが語り始め、物語が動き出す。(しかし、ダニエルのここまでの心情は不明のまま。)
 映画の最後、イーライとの直接対決の場面でダニエルは嘯く。「神に選ばれたのはお前じゃない。」
 イーライの兄ポールの情報でリトルボストンのことを知ったダニエルは、それを足がかりに大成功し、今では緑に囲まれた静かな大邸宅で老後を送っている。
 対してイーライは伝道師としてそれなりに成功したが、今は金に困っている。ダニエルにすがることで(貸しを返してもらうことで)、自分の難局を打開しようとするが、すでに全てを手にしてしまったダニエルに完全に足元を見られている。ダニエルがイーライに告げる先の言葉は、直接的には兄ポールの成功と彼の言葉に従った自分を指すものだ。
 しかし映画を見ていた僕は、ちょっと違ったことが頭をよぎったのでここからは自説を少し(っていうか妄想)。
 上でも書いたようにダニエルはいつも何かに選ばれる。最初の金鉱、それに続く石油。直接作業をしている場面でも、ある程度成功し、山師的に石油の出る土地を探している時にもだ。
 現実の世界で成功した人の中には、嘘か本当かは別にして、チャンスが道の向こう側から歩いてきて、自然にそれを選び取るような経験をしたという話をする人が何人もいるし、過去でも現在でもそれらの例は枚挙に暇が無い。
 ダニエルは時として悪魔的な存在に見えるが、その一方でいつも神に愛されている。だからほとんど裸一貫で始めた商売で巨万の富を築く。
 神など信じない、教会などクソ食らえと言わんばかりの現実主義の彼が、映画の中では一番神に愛されている。 例えばHWなどは、有能で誠実ではあるが、聴力を失い、自らの行動の結果として親子の関係を失ってしまう。あれほど多くの人から掠め取りながら、自身は最後まで何も失わないのがダニエルなのだ。偽弟のヘンリーに彼自身が語ったように、彼は誰とも積極的に関わることが無くても生きていけるというある意味究極の成功を手にしてしまう。(それゆえ彼の家には犬と仕事のこと以外では交わりを持たない老召使しかいない。)
 これを神に愛されているといわないでどう表現したらいいのだろう。その辺りを人生の皮肉として描いているのならPTA本当に人が悪いし、若くして少しニヒリスト過ぎると思う。


 中盤のリトルボストン。巨大な掘削機が稼動する中、またしても事故が発生。勢いよく噴出したガスのせいで聴力を失うHW。彼を助け出すために必死になるダニエルだが、実は心は噴出した油田にいっている。助け出したHWを早々に作業員に任せた彼は、燃え上がる油田を見つめながら自らの成功を確信する。
 近づいてきたフレッチャーにHWのことを聞かれても、そっけなく「大丈夫じゃない」と言い放つ彼の目は油田に釘付けだ。(この辺はコント的)
 このあたりに彼の業の深さが現れている。石油に取り付かれたというよりも、神に選ばれてしまった男はもうそれ以外を愛せない、それほどまでに神は全てを彼に与えたのだ。
 しかし、神は彼から人としてあるべき何かを奪ってしまったのかもしれない。(成功との引き換えにそれを望んだのが彼自身かは変わらない。)彼は人間として振舞えても人間にはなれない。どんなにHWを息子として愛していても、それを簡単に置き換えてしまう。なぜなら、そのとき(ヘンリーが現れた時)には、ヘンリーがどんな人物でも、彼と組んだほうが成功できると読みとってしまうからだ。
 愛していようがいまいが、本当であろうが嘘であろうが、全てを石油と天秤にかけることができる、いやかけてしまうのがダニエルなのだ。この辺は、昔観た「市民ケーン」でオーソン・ウェルズの演じたケーンが陥ってしまった罠と同じ何かに落ち込んだ男の運命を見た気がしました。しかし、現代の作家であるPTAはウェルズのように成功者を描かない。


 ダニエルは努力の人である。それとみんな言うほど悪魔的でもない。彼は目標がはっきりしていて、それを実現するための手段を持っている。他人より多くを取るが、分け与えないわけではない。
 それが証拠にフレッチャーやヘンリーは彼と組むことで美味しい思いをした。ダニエルの言葉を信じれば、ポールも彼の与えた現金で成功しているはず。最後にHWは、辛い別れを経験するが、ダニエルに育てられなければ生きていなかっただろう。(もちろんメキシコで油田開発する資金を得ることもできなかったはずだ。)
 ダニエルが、映画の中で直接手を下す人物は実は2人だけだ。(彼の周りで事故死する人物はいる。)それは、いずれもダニエルを兄弟と呼び、彼から掠め取ろうとした人物だ。ヘンリーに対しては一旦信頼の情を置きながらも、彼が全くの他人であり、自分を欺いていることに腹を立て、その感情を行動に移す。ヘンリーを始末した後、本当の弟の日記(ヘンリーの遺品)を読みながら嗚咽する彼は何が悲しかったのだろう。
 それとは対称的に、老いたダニエルを訊ねるイーライもまた彼を兄弟と呼ぶ。しかし、ダニエルは最初からイーライを受け入れてない。話が本題(金の無心)になると、溜め込んでいた思いを一気に爆発させ、イーライに攻め入る。「ミルクセーキ飲んでやる!」の名場面だが、ここで彼はパイプラインと引き換えに無理やり洗礼を受けさせられた時の恨みを晴らす。それ以上に最も唾棄すべき種類の人種に止めを指すべく行動する。神に選ばれてもいなければ、努力もしないものを。(この辺の苛烈さはキリスト教的かもね。)
 最後「終わった」とつぶやく彼の姿は安らぎに満ちている。しかし観客が期待したようなしっぺ返しは起こらない。(ボーリング場に降りてきた召使の様子から察するに、彼はダニエルを警察には通報しない。)
 ダニエルは永遠に続く孤独を受け入れ、すべての因縁を断ち切っている。イーライの死はそれが完結したことを示している。本当の息子として愛した男はもう彼の元を去っており、全てが思い出になっている。かつて一緒に働いた男や人々ももうここにはいない。ダニエルは、彼しかいない大きな屋敷の中で本当の安息を得たのだ。
 暴君であった父親から逃れ、全てを手にする誓ってから長い時間が流れた。富以外のものは彼の元には残らなかった。しかし、彼は安心だ。そう彼は最初から他人など必要としていなかったのだ。できれば1人でいたかったのだ。そして自分と因縁で結ばれた全ての人を始末した彼は、ただ地下のボーリング場でほっと一息つくだけだ。
 つくづく1人に向き合った映画なので、やっぱり見た後はダニエル・デイ=ルイスしか印象に残っていないっていうのあたりまえか。
 そう、全ては叶えられた。アメリカンドリームはなされたのだ、だから僕らはダニエル・プレインビューを讃えるべきなのだ。
 PTAはウェルズのようにはしなかった。そう、あるべきもうひとつの人間の形を描いただけだ。それがどんなに寒々とした光景であっても。 でも、考えてみると「パンチドランク・ラブ」ってどこまでも一人になっていくような映画だった気がするけどね。それはやっぱり今のPTAの心境なのかなとは思う。


 っと、まあ暑苦しい長文になってしまったのですが、本当に面白い映画です。観るべきです。今後のアメリカ映画を語る上でかかせない1本であることは間違いないです。
 そこいらへんがいまままでのPTAらしくなくてイヤという人もいると思いますが、とりあえずその辺は次回作に期待ということで、生暖かく見守っていきましょう。

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