子供と大人


 「君のためなら千回でも」、5本目の感想。
 画面の中に子役が登場すると、俄然面白くなる。子供同士の絡みもさることながら、大人と子供が一緒に演じる画面のが抜群に良い。 前作「主人公は僕だった」は大人しか出てこない映画だったが、今回は「ネバーランド」に近い。


 成功した父を持ち、何不自由ない生活を送る主人公アミール(ゼキリア・エブラヒミ)は、それゆえにいくつも孤独だ。唯一彼と交友を持つ召使の子供ハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)は、 従順ではあるが、それが故に2人の間にあるものが本当の友情であるのか、ただの主従関係に過ぎないのかがわからない。
 街に出ても、彼と遊ぶのはハッサンだけ、その上ハッサンは忌み嫌われる被差別民族の出身。そのことが、いっそう彼を不安にする。
 少年時代のアミールの姿は、決して幸せそうに見えない。
 立派過ぎるほどの父との関係にも、不安が付きまとう。 決してアミールを愛していないわけではないが、親として全面的な肯定を与えてはくれない。(代わりに彼を支えてくれる叔父の存在はあるが)


 凧揚げ大会の日、ハッサンの協力で大会に優勝。しかし、競り勝った相手の凧を取りに行ったハッサンが、街の少年たちに暴行されるのを目撃してしまう。 必死になって自分の名誉を守るハッサンを見て、友情が本物であると悟るが、されるがままの彼を助けることもできず、逃げ去った自分を嫌悪する。
 激しい自己嫌悪の中、アミールは父親の自分に対する評価が間違っていなかったことを痛感し、それから逃れるため、ある計略を巡らし、ハッサンを追い出してしまう。
 その後、ソ連によるアフガン進行を契機にアメリカへと逃れたアミールは、ハッサンとの関係を修復する機会を永遠に失ってしまう。


 もっと西洋的な文化のフィルターを通したような映画かと思っていたが、アミールをはじめアフガニスタン人の役はちゃんと英語意外の言語(ネイティブな言葉)を話す。
 また亡命後も、アフガニスタン人のコミュニティが中心的に据えられており、英語を話すことはあっても、民族的な習慣や風俗がキチンと描かれていく。(アミールの結婚のエピソードなど) このあたりは、「その名にちなんで」などに近い。
 父の死、作家としてのデビューと幾つかの出来事を経て、アミールは自分の過去と向き合うこととなる。
 タリバン統治下のアフガニスタンに戻る後半では、一気に物語が進行し、アミールがなぜハッサンへの借りを返さなければならないのか明示される。

 
 家族や血のつながりといった原理を基本としながら、新たな関係がつむがれる。ラスト、ハッサンの忘れ形見を引き取ったアミール(ハリド・アブダラ)は、彼と凧揚げを行う。子供に戻ったようなアミールの様子(映画の中で初めて屈託の無い様子)に、少しほっとした気分を味わいながら、映画館をあとにしました。

 よく読むサイトからエントリーを一つ。初めてのトラバ。

 本当に参考になります。
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