サラリーマンはつらいよ!(FBI編)

 23本目、「アメリカを売った男」。

 FBIの訓練捜査官エリック・オニール(ライアン・フィリップ)は、上司のケイト・バロウズローラ・リニー)に呼び出され、ある任務を言い渡される。
 それは、国防省に出向していた特別捜査官ロバート・ハンセン(クリス・クーパー)がFBIに復帰し、その際に新設される情報管理部においてハンセンの秘書役として仕えること。同時にハンセンに知られること無く、その言動を逐一報告すると言うものだった。任務を成功裏に導くことができれば、出世し将来は安泰と約束されたエリックは、一抹の不安を抱きながらも、その命令に従うことにする。しかし、この任務には彼が知らされていない大きな秘密が隠されていた。
 邦題が完全にネタばれなので書きますが、これは若き捜査官エリックが20年にわたりロシア(旧ソ連)と通じてアメリカの機密情報を売り渡していたロバート・ハンセンがFBIによって逮捕されるまでの2ヶ月間を追ったもの。2001年2月に公表された実際の事件に基づいています。
 監督はビリー・レイ。過去に「ニュースの天才」が公開されています。前作も今作も原則として、非常に優秀ではあるがその才能を決して正しい方向に使うことができなかった人物(天才)を主人公にしている。これはビリー・レイの作家性といえる部分で、これからも彼が映画を撮り続けるならば、たびたび扱われるモチーフでしょう。
 「ニュースの天才」では功名心とエゴを満足させるため、愚かな行動とってしまう人物を見事に描いてはいましたが、結局は成功するためならどんな嘘でも平気でつき、その上バレれば仕方なかったと泣いて反省する人間にどう感情移入しろというのかといった感じで、面白い事件(この映画も実話ベース)を観たとは思えても、それ以上突っ込んだものを感じることはできませんでした。
 ただ前作では不遇の天才そのものを描いたのに対して、今作ではその天才の傍らにあって、事の次第を見届けることになる人物(エリック)の目を通すことで、事件を客観的に描くのと同時に、自らの属する組織を売らざるを得なかった悲しみを観客に共感してもらおうと試みます。
 今回のこの試みは半分成功、半分失敗という感じでした。(挑戦したことは評価できると思います。)
 ロバート・ハンセンは敬虔なキリスト教徒で、仕事中にお祈りに行くほど(妻の影響)。あらゆる価値判断の基準に「神の意志」を持ち出すほどで、最近のアメリカの情勢で言えば完全なキリスト教右派の人物。
 しかし、一方で国防やインテリジェンスの世界で長く生きてきた人間なので非常に現実的。ネットやセキュリティーに通じ、官僚主義的な現在のFBIの組織には批判的。現場捜査での実績を重視し、狭い視野で縄張り争いに明け暮れる彼を冷笑している。その上仕事の重要性を理解せず、自分のような有能で実績のある人物を冷遇する組織を唾棄すべき存在と感じている。
 一方エリックは駆け出しの捜査官で実績は皆無。地味な捜査を中心として下働きのような状況には満足できず、出世の機会を狙っている。豊富なパソコン(ネットやセキュリティー)の知識を有し、実家が敬虔なキリスト教徒の家系であったことなどから、ロバートの相手役に抜擢される。偏屈で扱いにくいと評判であったロバートに付き従うこと、彼を出し抜くことに不安を感じながらも、彼は自らの価値を証明するために任務に就く。噂どうり神経質で扱いにくい新しい上司にヘキヘキとしながらも、信仰という要素で接点を見いだす2人。
 エリックは次第に、見事なまでに正攻法で事態に対応し、組織の中で不当に扱われながらも国を愛して止まないロバートのやさしく、面倒見の良い側面に感化されていきます。
 どうしてこんな人間を監視しなくてはならないのかという疑問が彼を支配するようになる中で、エリックはケイトからロバートの真の姿を知らされます。
 諜報機関で働いているという状況をのぞけば、これは本当にサラリーマンの社会そのもの。ロバートは有能でもその実直さは独りよがりで組織としては邪魔なだけの存在。その上仕事の秘密を敵対組織に売っているが、絶対に尻尾をつかませないと厄介この上ない。
 エリックと言えば野心と引き換えにリスクの高い仕事を引き受けたまではいいが、相手はそんなに悪い人には見えない。若干私生活に干渉してくる(夫婦で教会に来いととか、一方的に家族ぐるみの付き合いをしようとしたり。)のはうっとうしいけど、どう見てもいい人(上司としても)。
 わかっていて嫌な役割を押し付けてくるケイトのほうが嫌な奴に見えてくる。このへんは後半の展開のフックになっているんですが、ただ上記の比較を判りやすく提示するやり方に大きな問題が。
 ロバートは前半は実直でマジメ、有能な人物として描かれますが、中盤以降一転して性的な嗜好に問題がある人物となります。(夫婦生活を隠し撮りして公開する)このことを聞かされたエリックは、2重スパイであることと同じくらい彼を嫌悪することになります。
 でもこれじゃ、仕事上の問題でロバートと対立する訳じゃなくなってしまい、最初の作戦の意図が台無し。さらにオチの部分で明かなった(?)なぜアメリカの情報を売ったのかの部分についても、結果としてそれをぼやかしていまうことに。変態的な嗜好の持ち主が金や充足感を得るために転んだに近い結論では、それまでせっかく人間の機微をきちんと描いていても、父親の様な上司と出会い揺れる心の内のエリック、やっと自分を理解してくれるかも知れない部下を得ることができたと心を開き始めたロバート。この2人の新しい関係性が提示され、エリックがある決断をすることで終わるこの物語に下衆な勘ぐりとも言える要素を忍ばせる必要は無かったと思いました(事実であってもね)。
 少し困ったところのある上司や同僚に振り回されるという役が本当に板についてきたライアン・フィリップ(「クラッシュ」以降)は、今回も困り顔で画面を所狭しと駆け回り、クリス・クーパーもいやらしいベテラン捜査官を好演。リアリティがある役作りではありましたが、少し格好良すぎ。(エリックの家に勝手にいって、探りを入れるところなんかは抜群に良い場面。)
 総じて良くできた作品ですが、人間はどうしてそうしてしまうのかという一番根源的な部分には今回も迫りきれていないので、今後もがんばっていってほしいなと思いました。