その国は存在したのか。

 一番楽しみにしていた映画。 「ノーカントリー」、記念すべき10本目の感想。
 少し前コーマック・マッカーシーの原作「血と暴力の国」がおもしろいと聞いて、早速原作をamazonで購入したが、いまだ未読状態。 まあ、監督がコーエン兄弟ということで、最初から原作とは別物と考えればいいやと思って鑑賞したが、以外と原作そのままらしい。
 内容については、他でも紹介されているとおりで、シンプルな追い掛けっこもの。ただ、娯楽作品ではないのでカタルシスはない。

 まずアカデミーを取ったハビエル・バルデムに関しては、観ていただければ、多くを語る必要は無いと思います。彼が演じたシガーの卓越した存在感は、これからもこの映画を見た多くの人が語りついでいくことになるでしょう。 このような役にめぐり合い、それを演じきり、なおかつ人々から賞賛されるのだから、ハビエルは役者冥利に 尽きると思う。


 映画の雰囲気としては、「ブラッド・シンプル」に最も近いか。あの作品は、はっきりとした動機を持った犯罪についての映画であったが、今回は違う。ストーリーのプロットだけを聞くと、当然「ファーゴ」を思い出す。この作品は全編を通してユーモアが溢れており、フランシス・マクドーマンド演じる保安官は最後に事件を解決する。
 「ファーゴ」でピーター・ストーメアが演じた外国から来た残虐な殺人鬼は、ぱっとみ何を考えているかわからないという点で、シガーとの共通性がある。 しかし、ストーメアの役の場合やり方が派手で結果が甚大というだけで、基本的には犯罪者(人間)として描写される。
 過去のコーエンの映画には、殺人を行うキャラクターは度々出現するが、それはいつも犯罪者である。そしておもしろおかしい人間である。ところが今回のシガーは、そういうコンセプトからは逸脱している。この辺は、原作者の人物造形によるものが大きいのかもしれない。


 賛否両論の後半の展開についてはあまり違和感を感じなかった。
 直前にメキシコのマフィアが、モス(ジョシュ・ブローリン!!)の妻の後つけている描写が入るので、観客の大半はその後の展開について想像が付く。
 フィルムには、事件を追う保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)が、間一髪モスの救出に失敗する顛末が引いたカメラの映像として捕らえられる。
 これまで映画を引っ張ってきたモスの最後がほとんど描かれないことに不満が無いわけではないが、本来のクライマックスはここではないので、これは問題は無いと思う。


 客が肩すかしをくらった後も映画はまだまだ続く。モスの死んだモーテルでのシガーとベルとの対決。モスの妻カーラ(ケリー・マクドナルド)とシガーの対決とその後の顛末。(ここまで散々描写されてきたシガーの絶対性がさらに強化される。)
 引退を決意したベルが訪ねる人物とのやり取り。引退したベルが妻と交わす朝の会話。


 あえて言えば、真のクライマックスは、ベルが訪ねる半身不随の老人エリスとの会話であろう。 ベルはこの元保安官補の老人に引退を決意した経緯について訊ねられるが、明確な答えを発しない。
 世の中が変わってしまったこと、年老いた自分がそれについて行けなくなってしまったことを、ポツリポツリと語るベル。
 エリスは言う。「人間は奪われたものを取り返そうとして、さらに多くのものを失う(奪われる)。」
  観客には、シガーとモス・カーラの関係が想起される。
 いつの間にか会話は、彼らの知っている保安官の話題となる。老人の叔父であるその男は、地域に貢献した 良き保安官であった。しかし、その男も結局は悪漢の凶弾に倒れたことが、老人の口から語られる。
 「彼はいつ死んだんだ。」訊ねるベル。
 「1909年のことだ。」答える老人。
 「彼はその場の死んだのか、その夜に死んだのか。」
 浮かない顔で言うベル。


 なぜベルは浮かない表情を浮かべたのだろう。多くは語られない。
 ベルは映画の冒頭からボヤイている。
 最近は物騒になった、何を考えてるかわからない犯罪が多い、昔は良かった。
 そんなノスタルジックな感情がベルを通して語られる。
  しかし、彼が頭の中に描いていた国は本当に存在したのだろうか。 銃を持たずとも治安を維持できた時代など、本当にあったのだろうか。アメリカ(もちろん白人にとってのアメリカ)は、最初からこんな国ではなかったのか。
 彼の中にある漠然とした不安は、やがてシガーという形を取って現実世界に光臨する。
 しかし、映画を観ている観客は、しだいにシガーが単なる殺人鬼でも、理解不能の怪物でもないと感じるようになる。 全てを理解はできないが、ある種のルールに従う者であることを。人間が制御できるような矮小な存在ではないが、やり過ごすことぐらい可能ではあることを。
 シガーに直接会った人物は、そのほとんどが彼の手にかかり命を落す。(明確に生き残るのは2名のみ) ベルは彼の影を追い、それに恐怖を覚えるが、最後までシガーの姿を見ることは無い。それ故に生き残ることができたのだが。
 妻に昨夜見た夢について語るベルは何を感じるのか。本来微笑ましいはずの朝の会話が、寒風吹きすさむ荒野の光景のように寒々しい。ベルは今にも父親の待つ場所へ行ってしまいたいようだ。

 死が人の形を取った男は、ひどい事故にあっても死ぬことはなく(運命は容赦なく選択する)、子供たちに金を与え、シャツを譲り受けると、折れた左腕を吊って姿を消した。
 メキシコに逃げるモスも、国境でシャツを買っている。追うもの(悪人)と追われるもの(普通の人々)が同じ行動をとる。この2人にそもそもどんな違いがあると言えるのか。
 何の疑いや逡巡も無く、全てを金で交換する子供たち。ビールぐらいタダでやれとモスを気遣う青年の存在が印象的。(数少ない弛緩した瞬間が流れる。)


 映画館を出て、車で家を向かう道中、夜も遅い時間であたりは暗い。すれ違う車も少ない道を走りながら、なかなか胸のつかえが取れなかった。
 映画を見て何を感じるかは、観た人次第だが、多くの人が感じざるを得ないであろうある種の嫌悪を敢て感じてほしい。今すぐ2000円もって映画館へ 走ってほしい。

 ちょっと硬くて真面目な感想になりすぎたかな。
 でも、いちコーエンファンとしては、本当にゾクゾクするシーンの連続。アメリカ人に向き合ってきた彼らの集大成としては、やっぱりアカデミーあげてもいいんじゃないかと思う。(いちおう「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」待ちではあるが。)
 以下のエントリーに詳しく、簡潔に表現されていますので、僕の駄文は忘れて楽しんでください。
写真も多くていいな。

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