壮絶な振られ方

 少し古くなったのですが、3本目、「いつか眠りにつく前に」。
 撮影監督出身の演出家により表現される美しく、幻想的な映像。
 若手・ベテランを交えた多くのすばらしい女優の競演。
 人間の人生において、取り返しようの無い過ちとは何か。 それでも生き残ってしまった人間が歩む人生とは何か。

 あらすじは、こんな感じ。
 死の淵にある主人公アン(ヴァネッサ・レッドグレーブ)は、最近過去に仕出かしてしまったある出来事を良く思い出していた。 女手ひとつで2人の娘(ナターシャ・リチャードソントニ・コレット)を育て、今は安定した生活を送っているが、深い自責の念を抱くあの出来事については、 家族にも打ち明けたことがない。
  薬の副作用のせいか、起きていても朦朧としており、その出来事やそこに関わったさまざまな人々の記憶が彼女の前に現れては、消える。
 現実と夢、過去と現在が交錯しながら、物語は進む。死に瀕した彼女は、何を悔やんでいるのか。 うわ言を介して語られる何人かの人物は、いったい誰なのか。


 過去に起こった出来事を説明すればこんなもの。
 20代の頃、大学時代の親友ライラ(メイミー・ガマー)の結婚式に介添人として招待されたアン(クレア・デーンズ)は、ライラの弟バディ(ヒュー・ダーシー)に 姉の結婚をやめるよう説得してほしいと頼まれる。なぜなら彼女は、本当は幼馴染の医師ハリスを愛しているから。
 愛の無い、親同士の都合だけで行われる結婚に、弟は反発。 大好きな姉と親友のハリスが幸せになることを望み、その目論見を成功させるため、バディはアンを呼び寄せたのだった。しかし、そこにはバディ自身に関わる 別の事情が絡んでいるのだった。
 さっそくライラの気持ちを確認するアン。確かにライラはハリスを愛している。
 ハリスはいい男だし、誠実で正義感も強く(戦争に志願したり、貧しい人のために医師として活動している)非の打ち所の無い人物だが、自分が ライラの家の使用人の子供であったことのコンプレックスから、身分違いの恋に積極的ではない。(その実本当に好きなのかどうかは疑問。)
 ライラはライラで、煮え切らないハリスに苛立つ反面、よく知らない男との結婚が不安でたまらない。アンにだけは本音を打ち明けるが、両親には そんなことおくびにも出さず、結婚式の当日を迎える。
 全体的にうまくいかないそれぞれの思惑。バディは苛立ちから酒におぼれベロベロ。ライラの立場を考えると無理強いできないアンは余話ってしまう。
 一方ハリスは、ライラには煮え切らないのに、一目会ったときからアンには興味があるようなそぶり。 そんなハリスの態度に満更でもないアンは、彼と急接近。親友が恋している相手だから手を出しちゃいけないのは理解してるつもりだけど、無視もできない。
 しだいに良い雰囲気になる2人の間に分け入るバディ。結婚式のパーティの後、彼は大学時代から抱いていた密かな思いを、酒の力を借りてアンに打ち明けます。
 「大学で出会った時から、君のことがずっと好きだった。あの時もらったこれを今でももっている。」彼はポケットから古びたメモを取り出します。
 それは、アンが大学時代に伝言のためにバディに渡したメモでした。彼は、それを何年もの間持ち続けていたのです。 驚くアン、精一杯の告白。しかし、その結果は.... 。


 見てのとおりの三角関係の連鎖。結果は誰もが予想した通り。バディの負け。
 でも、その負け方がすごい。というか、アンの振り方が容赦ない。
 バディはずっとアンのことが好きだったみたいなんですが、アンは彼を弟のように好きなのであって、異性ではない。 それに、歌手を目指して活動しているアンにとって、親掛かりでいつまでも子供のような振る舞いのバディは、最初から恋愛の対象ではなかったのです。
 気を引こうとウジウジつきまとう彼に、クレア・デーンズが切れる切れる。
 バディの存在と人生を全否定。男して見ていてツライの一言。(本当身につまされる。)
 その直後、バディは不幸な偶然から事故死する。それに間接的に関わってしまったアンとハリスは、互いを運命の相手と確信しながら、良心の呵責から 分かれてしまいます。
 結局アンは、バディの死を自分の責任と感じながら、ハリスと一緒になれなかったことを後悔しながら生きてきた。それと同時に思い出すことのない記憶として封印していた。それが死を前にして、蘇る。そのこととどのように折り合いをつけるべきか。


 上記の振られシーンも壮絶でしたが、この映画には他にもすごい部分があります。
 映画の中盤、夜中に目を覚ましたアンが、枕元に立つある人物に気づきます。それは白いレースのドレスを着た老女です。彼女の招待は、介護をしている
雇われ看護士なんですが(自分から夜間担当の看護士と名乗ります。)、これがすごくシュール。
 全体に起伏の無い映画なので、そろそろ意識が怪しくなってきたところで、彼女が登場。俺の知らない間にこんな人登場したっけと思っていたら、 自己紹介。→ワオっ、なんじゃそりゃって感じ。
 ここまで散々アンは夢を見たり、幻覚見たりするんで、その流れが頭に入っていればとりあえず、何が起こったかは理解できるんですが、 それにして、明確なフリが無く、それまでほとんど台詞すらない人物に結構重要な役回り。まるで神父に懺悔するように過去の行状を彼女に語ると、案の定、看護市は彼女を許します。するとそれまで寝たきりだった彼女が、起き上がり、家の中を 闊歩するというシーンまであるのです。これも素直に見ると笑えてくる。
 たぶんこの場面は、薬が重要な役割を負っているんでしょう。脚本のマイケル・カニンガムは「めぐりあう時間たち」でも、ドラッグによる精神の解放や過去への贖罪といったことを取り上げていたので、今回の映画にもそういった要素を垣間みることができます。
 それならそうで、もっとダイレクトな表現をした方が、意図が伝わりやすいんじゃないかと思いました。
 
 オチとしては、ちょっと妥当するぎるオチ(重要な人物を大物女優が演じてます。)なんですが、安易な過去への憐憫ではなく、生きてきた時間こそが、本当の意味を持っている。思い出すことはあっても、それは幻にすぎない。癒しは得られても、かりそめの感情でしかないと、最後にアンを訪ねる人物を通して語ります。
 女のひとは強いですね。思い出でだけに生きたりしない。現実の時間に立っている力強さがにじみ出してくる。それに引き換え男どもは.... 。

 女優陣が本当に良い仕事をしていると思います。でも、個人的にはヒュー・ダーシーのダメな奴演技が、壷にハマった映画でした。

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